3月31日 No122
エフライムは偽りをもって、イスラエルの家は欺きをもってわたしを取り巻いた。ユダはいまだに神から離れてさまよい、偶像を聖なるものとして信頼している。
ホセア書12章1節(口語・新改訳では11章12節)
民は、偽りと欺きで「わたしを取り巻いた」との言葉は、「わたしをだました」ということです。
ジョン・バンヤンの「天路歴程」に二股氏が登場します。彼は、神もサタンも欺いて首尾よくことを進めているつもりでした。しかし、気がついてみると、欺いていたのは神でもサタンでもなく自分自身でした。「二人の主人に仕えることはできない。…神と富とに仕えることもできない」(マタ6章24節)のです。
二股氏が考えた神もサタンも取り込もうとする世界では、神は沈黙を守り、サタンはここぞとばかり懸命に二股氏を愛し仕えます。結局、彼はサタンに欺かれているにすぎません。
同じく、霊(神)と肉(自分)の両方を求めるとき、神は肉を小さくするために働き、サタンは肉を大きくさせるために働きます。誰も自分が小さくされることは嫌で、大きくされることに心が奪われます。サタンの目的は、人を神から離すことです。
「神と世、霊と肉」の間に迷う友よ。その迷いは、今の生活が満たされていることに起因しませんか。神にも世にも希望を持とうとする信仰は、病や災害や老化などの現実に直面するまでは通用しますが、その先は通用しません。自分の中に神を取り込む者はやがて失望し、神の中に自分が入る者には失望がありません。