3月19日 No110

ところがお前たちは悪を耕し、不正を刈り入れ、欺きの実を食べた。自分の力と勇士の数を頼りにしたのだ。

ホセア書10章13節

 ホセア書十章は、神の賜物を自分の所有物にすることを警告しています。ここでも、「悪を耕し…自分の力と勇士の数を頼る」と警告します。

 聖書は、聖霊の「賜物と実」について記します。使徒、預言、いやし、知恵や知識、それに物質的な恵みなどは神の「賜物」であり人の所有物ではありません。それは、預かり物であり「命」に仕えるためです。

 愛、喜び、平和…などの御霊の「実」は、その人に備えられるキリストの品性(命と命の質)です。賜物は品性を作るための手段で、目的にしてはなりません。 

 ある人曰く、「聖霊の賜物については『求めよ』とあるが、聖霊の実・愛については『…ない。…せず』によって作られる」と。確かに、賜物については、「…霊的な賜物…を求めなさい」(Ⅰコリ14章1・12節)とあります。一方、聖霊の実については、「愛は忍耐深い…情け深い、高ぶらない、礼を失せず、自分の利益を求めない、いら立たず、恨みを抱かない、不義を喜ばない…」(同13章4~7節)とあります。

 友よ。愛という実を結ぶのに否定形が使われるのは、御霊の実は既に内住の聖霊の中にすべて完成しているからです。それが出てこないのは、「私」という自我が邪魔しているからです。聖霊の賜物は上から与えられ、御霊の実は内側(内住の御霊から)から出てきます。愛は、自分の肉を失うことで得るものです。