2月8日 No70

 

イスラエルの家に恐るべきことをわたしは見た。そこでエフライムは姦淫をし、イスラエルは自分を汚した。

 

ホセア書6章10節

 

 預言者は、王や宗教家や民の気に入ることを語るためではなく、罪を暴き悔い改めさせるために立てられました。ホセアも命がけで語り続けました。

 

 なぜ預言者の厳しい言葉が消されず、今も残っているのか不思議です。それは、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタ24章35節)という神の言葉だからですが、それだけでもありません。

 

 神の言葉であっても、それを真剣に受け止める人がいなければなりません。ホセアの時代は、ヤロブアム二世が四十年支配しました。その権力とそれにこびる宗教家たちをも恐れず、語られた言葉に命を捧げた人々がいたからこそ残ったのです。 

 

 厳しい言葉が残ったさらなる理由は、歴史の中で言葉が成就したからです。「神の言葉を受ける→語る→権力や体制に迫害される→しかし時至って実現した」というプロセスは、「事実は小説より奇なり」どころか、「神の言葉こそ事実なり」となったからです。

 

 友よ。あなたが神の御言葉を真剣に受け取るなら、あなたと家族や周りの人々に御言葉が実現します。しかし、イスラエルのように御言葉をほどほどに聞くならば、あなたの中で御言葉は消え失せます。命懸けで受け取った言葉がいつまでも必ず残るのは、神が必ず御言葉の約束をあなたの人生に成就させてくださるからです。神の言葉が実現する日々を過ごしてください。