9月20日

「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。」

ルカ福音書5章38節

 罪から救い出され、神の子となったぶどうの粒が、ぶどう酒(聖別された者)になるには、新しい革袋の中にいれねばなりません。

 神の子には、神に支配された皮袋・教会・キリストの体が必要です。ペンテコステの後、多くの人が救われて教会が出来ました。その時の記事、「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2章42節)は、教会のあるべき姿を啓示しています。

 使徒の教え(聖書の学び)、信徒の交わり(兄弟姉妹の御言葉を基にした交わり)、パン裂き(礼拝)、祈り(神へ・とりなし)」が重要です。

 友よ。罪を赦されて「神の子である」ことと、「神の子として生きる」ことは違います。神の子として生きるには、日々自分の十字架を負って主に従う、聖別に取り組まねばなりません。聖別こそ、「御霊に満たされ」(エペ5章18節)「御霊によって歩む」(ガラ5章16節)ことです。
 そして、それは御言葉に聞き、分かち合い、礼拝し、祈る、真実な命ある教会の中で行われることです。神に支配された教会になることを祈りましょう。一人ひとりの信仰告白が教会を造り、教会がより真実な信仰告白を一人ひとりにつくります。