8月21日 ルカ№4
そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。」
ルカによる福音書16章15節
金に執着するファリサイ派の人々は、不忠実な管理人の話しをしたイエスをあざ笑いました。
人に尊ばれることで神に嫌われ、人に嫌われることで神に喜ばれることが多くあります。主はそのことを、「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で…『神様、わたしは他の人達のように奪い取る者、不正な者…でなく、徴税人のようなものでもないことを感謝します。…二度断食し、全収入の十分一を献げています…』。
ところが取税人は、…目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください』」と祈りました。
主はこの話しの後に、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ18章9~14節)と続けました。主が喜ばれることは罪を告白することで、義人を装うことではありません。人が喜ぶことはその反対です。
友よ。人々からの救いを求めるならば、罪を隠し、信仰をつくり、義人を装わねばなりません。それは他人をだます以前の自己欺瞞です。むしろ、「あなたはわたしを極め…知っておられます。遠くからわたしの計らいを悟って…。座るのも立つのも…歩くのも伏すのも見分け」(詩139・1~3)られる方の前に、幼子のように裸でいる者が祝福される人です。