9月20日 No8
「…あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから。」
ルツ記1章13節 (1)
ナオミの言葉は、神の子たちだれもが一度は口にするものです。神の恵みの中を歩むはずが、それから外れた現実に出会う時、「なぜ、神は」と考えます。
神の子だからこそ、「神」を抜きに物事を考えることはできません。そこで最初に出てくる思いは、「神は神だから自分勝手にすることができる」との考えです。
確かに神は、「ヤーヴェ(自存・創造者)」ですから、御自分で計画し、実行し、完成することができるお方です。しかし、全能者は「愛の神」です。愛は自分の望みではなく、相手のゆえに自分を犠牲にされます。
主は、「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た…」(マタ20章28節)と言われました。
人は、いつでも自分に起こっている出来事から判断しようとします。その基準は、「自分にとって良いか否か」で、悪いとするならば行き着く先は「主の御手がくだされた」となります。出来事と神との関係を考える時、二つの見方があります。
①出来事によって神を定める。
②出来事の中に神を探し求める。
友よ。あなたがナオミならば、二つのどの見方を選びますか。出来事の中に神を探してください。神はその者に御自分から必ず応え教えてくださいます。