9月17日 №5
ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。
ルツ記1章6節
モアブに来たのに夫を失い、さらに最愛の二人の息子を失ったナオミは、自分の国に帰ることにしました。
人は、失望がなければ現実を変えられませんが、失望だけでは動けません。失望とともに、希望があると動き出すことができます。
それは、罪を知る(失望)とともに、赦される希望を持てる時、悔い改める(方向転換)ことができるものです。
その希望は、「主が民を顧み、食べ物をお与えになった」という福音でした。すると、彼らが飢饉でモアブに移住したのは、彼らの属していた「教会が飢饉」になっていた、とも言えます。教会こそ、五つのパンを五千人に分けるほど、主イエスから命のパンなる御言葉を委ねられているところでなければなりません。
人が教会に集うのは霊の食事・御言葉を求めるからです。しかしそれが与えられず、奉仕や献金や伝道することを求められるなら、飢饉(空腹)になります。
さらに、皆が教会に来るのは、「神の愛」を求めるからです。そこが争いの場となり人の支配するところとなるならば、モアブなるこの世へ逃げ出します。
友よ。御言葉と神の愛を豊かに与える教会とは、それは徹底的に、「主イエス」を与える教会です。御言葉と聖霊は一体となり、主イエスを与えます。