11月23日 №28

神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

コヘレトの言葉3章11節③

 人はアダムとエバ以来、自分を自分で救わねばなりませんでした。そのために富を、快楽も…と求めますが、得るものは「空の空、すべては空」でした。

 なぜなら、神が人に「永遠を思う心」を与えたからです。その心は哲学的な思索から得ることではなく、愛の関係によって作られます。永遠を思う心とは、本当の愛を求める思いのことです。しかも、その愛は親子、夫婦をも超えた愛でなければなりません。それは、「神の愛」を求める心だったからです。

 主がサマリアの女に出会いました。そして、「この水(この世の愛)を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(ヨハ4章13~14節)と言いました。

 女はすぐにその水を求めましたが主は、「あなたの夫をここに呼んできなさい」と言います。女は「五人の夫を持ち、今は六人目の男と居ました。六人の男たちこそ、彼女がこの世で求めた愛であり命でした。しかし、彼らは彼女を満たすことはできませんでした。

 友よ。サマリアの女はあなた自身でしたね。お金、名誉、豊かさなど多くの夫を持ちましたね。でも今、本当の夫=主イエスを与えられました。感謝します。