イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。

ルカ福音書6章20節

 ここから「山上の垂訓」に入ります。ガリラヤ湖の最北、なだらかな山腹に八角形の屋根をもつ山上の垂訓教会があります。主が語られた八つの祝福を表す教会堂です。

 最初に、この教えを受け取る心構えを持つ必要があります。それは、「このようにすれば、クリスチャンになる」でも、「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全になりなさい」(マタ5章48節)の御言葉を、完全になったら救われる、と理解してもなりません。むしろ、「天の父の完全によって、あなた方も完全になりなさい」です。

 「当為」という哲学用語があります。それをある人が、「神は人のできることを要求する」と説明しました。この教えは、神によって人が完成される教え、と言うことができます。山上の垂訓を理解するポイントは、実にそこにあります。

 友よ。イエスが最初に「目を上げ弟子たち」を見られたのは、彼らの罪にまみれ自己中心に生きる姿では! 次に、その弟子たちが神の子として聖くされ、愛に生きる姿を見られたのでは!さらに、天の父に目を上げ、「父よ。そのために、わたしが彼らの『…知恵となり、義と聖と贖い…』(汽灰蝪云30節)になることができますように」と自らのためにも祈られたのでは! この教えは、神に祈り、神によって成就されるものです。