まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、

競撻肇蹐亮蟷罍馨錬垣

 終末を恐れるのは、生死を分ける時だからです。人にとって一番の恐怖は死です。その恐怖から逃れるためにさまざまの詭弁が横行します。

 「どうして死が悪いものであり得よう。それが到来したあかつきに、我々に感じられることのないものが(ギリシャの哲学者ディオエネス)」。

 「死は悪いものの中で最も恐ろしいものとされているが、実はなんでもない。なぜなら、我々が存在する限り死はなく、死が来た時には生はないからである(ギリシャ哲学者エピクロス)」。

 「生というときは生よりほかなく、滅というときは滅のほかなし。ゆえに生きたらばただ生、滅きたらばこれ滅…いとうなかれ(禅家・道元)」。
 
 彼らは、死を自然現象・生物学的現象としてとらえ、理屈や習慣によってごまかすだけです。そうできるのは、人間の本当の「生」が何であるかがわかっていないからです。
人の正しい「生」の定義は、「神との継がりと交わり」です。だから人間の「死」とは、「神との断絶」です。そしてそれを「罪」と言います。
 
 友よ。私たちが死を恐れるのは、生物学的現象としての恐れを超えた罪への審判です。「罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命です」(ロマ6章23節)。

☆サムエル記No3を追加しました。今回のNo3と次回のNo4は子どもと親の関係をハンナの姿を通して学びます。

サムエル記No3「この子を主に委ねます」
サムエル記上 1章21~2章11節
2017年11月12日 鵜の木教会主日礼拝


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