アッシリアはわたしたちの救いではありません。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを、再びわたしたちの神とは呼びません。
ホセア書14章4節
人は弱いので何かに頼らねばなりません。神に依存して生きることが命の道ですが、神は目に見えません。そこでアッシリアや軍馬に頼りたくなります。
しかし聖書は、「エフライムは…死ぬ」(13章1節)、「…お前の破滅が来る」(同9節)と、死の宣告が繰り返されます。神は、イスラエルに「生と死」のどちらを与えたいのでしょうか。もちろん「生」です。
実に、世と聖書の世界では、生死が逆転しています。世では、生を受け生まれたことは死に向う助走で、行き着くところには死が待っています。
聖書の世界は、死による終わりが生の始まりとなり、さらに永遠の生へと続きます。水の洗礼は古い自分の死で、死が復活の命をつくり、さらに肉体の死は永遠の世界のための霊の体の生となります。すなわち、聖書が示す命の道は、「死んで生きる」ことです。
「イスラエルは死ぬ…破滅が来る」とは、「神の言葉に従わず、自分を生かそうとすれば」生きることができない、と言っているのです。
友よ。アッシリアや軍馬は、あなたの肉を生かし、霊を殺します。神の御心に従うことは、あなたの肉が殺され、霊に生きることになります。そして、あなたが死ぬとは、あなたの肉体が無くなるのではなく、主の十字架に死ぬに、復活の命に生きることです。
ホセア書14章4節
人は弱いので何かに頼らねばなりません。神に依存して生きることが命の道ですが、神は目に見えません。そこでアッシリアや軍馬に頼りたくなります。
しかし聖書は、「エフライムは…死ぬ」(13章1節)、「…お前の破滅が来る」(同9節)と、死の宣告が繰り返されます。神は、イスラエルに「生と死」のどちらを与えたいのでしょうか。もちろん「生」です。
実に、世と聖書の世界では、生死が逆転しています。世では、生を受け生まれたことは死に向う助走で、行き着くところには死が待っています。
聖書の世界は、死による終わりが生の始まりとなり、さらに永遠の生へと続きます。水の洗礼は古い自分の死で、死が復活の命をつくり、さらに肉体の死は永遠の世界のための霊の体の生となります。すなわち、聖書が示す命の道は、「死んで生きる」ことです。
「イスラエルは死ぬ…破滅が来る」とは、「神の言葉に従わず、自分を生かそうとすれば」生きることができない、と言っているのです。
友よ。アッシリアや軍馬は、あなたの肉を生かし、霊を殺します。神の御心に従うことは、あなたの肉が殺され、霊に生きることになります。そして、あなたが死ぬとは、あなたの肉体が無くなるのではなく、主の十字架に死ぬに、復活の命に生きることです。