すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエ フライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。
創世記48章14節
ヨセフは、父と会うのはこれが最後とわかり、二人の子の祝福を父に願いました。長男のマナセを父の右手に、弟エフライムを左手に向かわせました。ところが、イスラエルは手を交差して弟エフライムの頭に右手を、兄マナセの頭に左手を置きました。
聖書では右手が祝福のシンボルですから、弟が兄よりも祝福されることになります。ヨセフが周到に段取りしたようには進まず、イスラエルの手はヨセフの思いを超えて動きました。
しかし、それはイスラエルの考えをも超えている神の御手でした。主の弟子たちも、イスカリオテのユダ亡き後に、くじでマッテヤを12使徒の1人に選びましたが、聖霊の選びは迫害者サウロでした(使徒1章23節)。自分の願いと違う出会い、出来事、病に遭遇し、「神よ。それは違います」と叫び、もがき、泣き、叫び、沈み込む時があります。
しかし、友よ。自分が願わない神の左手であったとしても、自分の計画通りの、世からも認められる最高の右手よりも、何倍も確かで祝福に満ちているのです。左手を退けず、その中の祝福を受け取ってください。
創世記48章14節
ヨセフは、父と会うのはこれが最後とわかり、二人の子の祝福を父に願いました。長男のマナセを父の右手に、弟エフライムを左手に向かわせました。ところが、イスラエルは手を交差して弟エフライムの頭に右手を、兄マナセの頭に左手を置きました。
聖書では右手が祝福のシンボルですから、弟が兄よりも祝福されることになります。ヨセフが周到に段取りしたようには進まず、イスラエルの手はヨセフの思いを超えて動きました。
しかし、それはイスラエルの考えをも超えている神の御手でした。主の弟子たちも、イスカリオテのユダ亡き後に、くじでマッテヤを12使徒の1人に選びましたが、聖霊の選びは迫害者サウロでした(使徒1章23節)。自分の願いと違う出会い、出来事、病に遭遇し、「神よ。それは違います」と叫び、もがき、泣き、叫び、沈み込む時があります。
しかし、友よ。自分が願わない神の左手であったとしても、自分の計画通りの、世からも認められる最高の右手よりも、何倍も確かで祝福に満ちているのです。左手を退けず、その中の祝福を受け取ってください。