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ヨセフはヤコブのひざから彼らを引き寄せて、顔を地につけて、伏し拝んだ。

創世記48章12節

 ヤコブとヨセフの会見は、臨終の会見になりました。ここでは、世間話も人のうわさもお金も名誉も肩書きも通じません。さらに、肉親であることも通じません。ここで必要なのは、真実なこと、本当のいのちだけです。聖霊は真理の御霊です。そのお方の前では、うわべの繕いや建前は通じません。

 ヨセフが「顔を地につけて、伏し拝んだ」のは、父ヤコブを礼拝したのではなく、あまりに不思議な神の摂理と、聖霊のご支配の厳粛さに、その場で神を礼拝せずにはいられなかったからです。

 人生の節目に、家族や兄弟姉妹と共に、神の御前に伏し、鳥肌が立つほど厳粛な雰囲気に包まれて神を礼拝したいものです。親も子も不完全な者同士です。しかし、互いに不完全であっても、神にあって完全な親子、夫婦、兄弟姉妹となることができます。

 それは、「二つのものを御自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現する」(エペソ2章15節)お方がおられるからです。家族を自分のなにかによって一つにすることはできません。唯一、神を礼拝する事によってのみ可能となります。