イスラエルの目は老齢のためにかすんでいて、見ることができなかった。それでヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。

創世記48章10節

 ヤコブの目は老齢のために視力を失っています。かつてはずる賢い目を持ち、目が利き過ぎるあまり、人生を自分の力で開き、その分だけ罪を犯し続けたヤコブでした。

 主は、「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです」(ヨハネ9章41節)と言われました。

 主は、「見える」基準が「私」であることに注意を促されたのです。聖書は、彼の父イサクの時も、「イサクは年をとり、視力が衰えて良く見えなくなった」(27章1節)と言っていますが、それは「霊の視力」の衰えで、ここでのヤコブの目の衰えは、霊の視力がいよいよ鋭く増し、この世を見る必要がなくなった、とも受け取れます。彼の目(心・霊)は、この世ではなく、神に向けられています。

 友よ。私たちの目は、神と、この世のどちらに多く向けられているでしょうか。世に向く目がかすむことを願おうではありませんか。そして、いつも神に目を向け、神の光で見るべきものを見つつ、歩んで行こうではありませんか。

☆ホセア書講解を追加しました。
ホセア書講解癸粥。仮18節~3章 「三つの契約の日」
2015年7月5日 米沢家の教会にて

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