人々は、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。

ルカ福音書22章71節

 「言葉は災いの元」と言われますが、反対に、「聞き方は命の元」とも言えます。同じ内容でも、聞き方によって、「命」になり「死」にもなります。

 福音書全体から、イエスが裁判の前と裁判の中で言われたことは、「今から後、人の子は全能者の右に座る」(22章69節)。マタイとマルコはそれに加え、「人の子が…天の雲に乗って来るのを見る」(マタ26章64節・マコ14章62節)。「わたしの国は、この世に属していない…。わたしは真理について証しするために生まれた…」(ヨハ18章36~37節)でした。
 言葉は「言(いのち・基準)」によって解釈されます。自分を義人とする者には、イエスは自分を神とする最大の罪人に見えます。一方、イエスの命を受け取った者には、悲しく、弱く苦しい人生であっても、主が十字架によって自分を受け入れてくださり、さらに必ず迎えに来て天国に完成してくださる約束が、その人をさらに救います。

 友よ。御言葉があなたの命の元になっていますか。主が、「聞く耳のある者は聞きなさい」(ルカ14章35節)と語られた「聞く耳」があるとは、「聞こうとする」ことで、イエスに語らせることです。一方、聞く耳がないとは、相手に「聞かせようとする」ことで、イエスに自分が語る人です。「主よ、語ってください。しもべ聞きます」の者でありますように。