「この人たちは羊を飼う者です。家畜を飼っていた者です。彼らは、自分たちの羊と牛と彼らのすべてのものを連れてきました。」
創世記46章32節
誰でも、自分の家族を少しでも良く見せたがるものです。ヨセフは、家族がエジプト人の嫌う職業に就いているのに、「私の家族は羊飼いです」と紹介します。彼はむしろ、家族とエジプト人を隔てるために、「羊飼い」であることを公にしたとも考えられます。
神の子としてこの世で生きるためには、「分離と服従」が必要で、この両者は表裏一体です。「分離」とは、愛してくださる人の嫌うものから自分を遠ざけること。「服従」とは、自分の願いより相手の願いを優先することです。それは、愛する人の嫌うものから離れ、望むことを受け入れることで、このことを「聖別」とも言います。主は、「人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも…わたしの父の前で…知らないと言います」(マタイ10章33節)と言いました。
友よ。ヨセフが「羊飼いです」と言ったように、「私はクリスチャンです」と告白することは、自分が世と距離を置くと共に、世に自分を分離させる機会です。「神と富(人・世)」(同6章24節)の両方に仕えることはできません。聖別は、いのちを守ります。