「なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか。」
 
創世記44章4節
 
シメオンもベニヤミンも一緒にいます。袋に食糧を一杯詰め、足取りも軽く帰る彼らに、ヨセフの召使が追いつき、「なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか」と荒々しく尋問します。ここでも身に覚えのないことが…。
 
人は、特に神に対して、「悪をもって善に報い」ているものです。罪の赦しはまさにそうで、人が神の恵みである罪の赦し(神の善)を求めることは、自分の罪の代価を主に負わせることですから、主を十字架に架けることです。これは、寛大な人の恵みを利用して、自分の借金を何度でも肩代わりさせることと同じで、「悪をもって善に報いている」ことになります。事実、人の世界で許し続ける関係は、いつまでも続くことはありません。
 
しかし、神の愛に限界はありません。神が「人の悪(罪)」を御自分に引き受けて「善(赦し)」に変え続けるのは、「昇天」した神だからです。昇天は、「サタン・罪・死」に対する完全な勝利でした。完全な勝利者だから限界なく赦し続けます。友よ。パウロのように「私は神の恵みを無にはしません」(ガラ2章21節)と、神の愛に応えたいものです。