彼らはヨセフとともに酒を飲み、酔いごこちになった。
創世記43章34節
「おいおい、ちょと、お兄さんたち。ここで酒に酔っていて大丈夫?」と聞きたくなります。彼らは、恐れと畏れをもってヨセフに接していましたが、いつの間にか調子に乗って自分のことを忘れたようです。
だれでも神の前に出た初めの頃、恐れと畏れを持っていました。しかし、神の寛大な愛に包まれることに慣れると、自分が被造物であること、罪人であること、謝らねばならない者であることを忘れます。そして、兄たちのように身分を忘れて振舞い出します。神の前では、「恐れ」と「畏れ」の両方が必要です。「恐れ」は、自分の罪、高慢、被造物で有限、などを知ることです。「畏れ」は、その罪人を赦し、神の子とし、守ってくださるお方に感謝して仕えさせていただきたいとの思いです。
愛されている友よ。「親しき中にも礼儀あり」のことをパウロは、「神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」(ロマ2章4節)と言いました。神との正しい関係を保つことが、恵みをいただくことになることを忘れないでください。