5月7日 №402
 
「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」
 
ポティファルの妻の執拗な性的誘惑に、ヨセフは困り果てています。こんな時、あなたなら、なんと言って断るでしょうか。「主人の妻だから」「主人が怖いから」「人妻だから」「出世を棒に振るから」などでしょうか。
 
ヨセフが断った理由は、「神に対して罪を犯すことができないから」と明確でした。彼は、神の基準に生きていました。詩編の記者は、「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです(詩119・9節)」と言います。神を基準とするとは、神の御言葉(聖書)に従うことです。それには、御言葉を自分の内に、「知識」としてではなく、「霊的いのち」として蓄えていなければできません。
 
「霊のいのち」は、神との日々の交わりによって育まれます。ばい菌(肉の思い・世の汚れ)の侵入を防ぐことは避けられませんが、健康な体(いのち)は侵入したばい菌を殺せます。友よ。健康な体は、なによりも正しい食事から造られます。一朝一夕にヨセフになれませんが、日々の御言葉の食事がヨセフを造ります。理解できる、できないを超え、日々御言葉を食べてください。