1月28日 №303
ラバンは彼に、「あなたはほんとうに私の骨肉です。」と言った。
人は人を求めて生きているので、なによりも人との出会いを喜びますが、一番失望するのも人です。失望は、お互いが罪人であることを忘れ、相手にその人以上のことを期待してしまうからです。この後のヤコブとラバンの関係は、「罪人と罪人の関係」から来る、つまずきと争いの連続になります。
そもそも、ヤコブが伯父の家に来た理由の一つは、同じ神を信じる家族だからでした(28章1節)。しかし、ラバンの姿には、信仰の片鱗(へんりん)もありません。彼にあったのは、「私の骨肉」という「人間愛(エロース・価値追求)」だけで、神の愛はありませんでした。ヤコブは、ベテルで神の愛に触れてここに来ましたが、伯父の家では信仰とは似て非なる人間愛に支配されて歩み出すことになります。
神の愛と人の愛には多くの共通点がありますが、人の愛には「十字架」がありません。相手のために自分が死んでいく(十字架)のが神の愛です(マタ103839節)。人の愛は、我欲が根底のラバンのような利益追求の愛です。人の愛は「骨肉の愛」で、神の愛は「骨肉(自分)を捨てる愛」です。