1月19日 №335

その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」

創世記32章27節

「名」とはその人の存在を表すので、ヤコブに、私は「ヤコブです」と言わせたことが神の勝利でした。それは、「私は罪人です」との告白です。彼は、多くの家族と財産を得ましたが、それらを失いかける時になって、やっと本質的な罪の告白ができました。

 人間の自由は罪の告白から始まります。詩編の記者は、「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。…私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」(詩篇32・3~5節)。

 友よ。神は罪の告白を求めますが、罪を暴き断罪するためでも、惨めな者にするためでもありません。むしろ、死と自責の念から解放し、ご自分の子供として愛したいからです。それは、あなたが自分を、「ヤコブです」と言わず、「イスラエル(神の王子)です」と言える身分を授けたいからです。