数多ある国内のヒルクライムイベントの中で、最も人気が高いと思われるMt.富士ヒルクライム。昨日の事前受付に続いて本日が本番のレースとなる。先週、第六胸椎圧迫骨折と診断された患部は着実に回復しつつあり、日常生活でも大きな支障は無くなりつつある。ただ、ベッドで横たわり動いた時のみチクチクと明確な痛みを感じるため、夜毎独り寂しく眠ることを余儀なくされてしまうワイフには申し訳ないが、相変わらず夜はソファで寝ている。そんな独りの時間は、どうしても富士ヒルのことを考えてしまう。いや、正直なところ基本的には参戦する方向で密かに検討を重ねてきた。片道24km、下山も含めて50km弱のコースは、先日の試走タイムからするとどんなに遅いペースで走っても、恐らく往復で3時間半はかからないだろう。サイクリングとしては取るに足らない時間である。極力、冷静に現時点での自身の回復状況とコース全体を照らし合わせても、やはり完走自体は問題ないとの結論に至る。ただ、背骨を圧迫骨折して完治したわけではないという重大な現実を踏まえると、それは世間一般的には非常識な行動であるとの誹りは免れないだろう。万が一、何らかの事故を起こすか、あるいは巻き込まれた場合、例え背骨の骨折が直接の原因でなかったとしても言い訳は通用しない。場合によっては、主催者側に迷惑をかけてしまう可能性もゼロではない。散々葛藤しつつも、それでも金曜夜までは参戦したいという気持ちが勝っており、後はどうワイフに納得してもらうかとまで考えていた。

 その金曜夜は、ワイフと息子の三人で外食に出かけた。食事中、さり気なく「いい感じに回復してるし、場合によっては富士ヒル参戦してもいいかなー」とあくまで冗談めかしてアピールしてみたところ、ワイフは「まだ背中痛くてソファで寝てるのにありえないでしょ」と割と本気でムッとした様子である。男同士、空気を読んで加勢してくれるかと一縷の望みをかけた息子も「さすがにそれは無理でしょ。週末は大人しくしたら」と実に手厳しい。予想以上にクールな二人の反応を見て慌てて「やはりカキフライにタルタルソースは至高だね」と誤魔化しつつ秒速で色々な思考が頭を駆け巡る。ワイフの言う通りまだ背中の痛みこそ残るものの、それでもなお完走については問題ないと思う。ただ、ワイフがこちらの身体を本気で心配してくれているというのに、そこに配慮せず強行するのもちょっと我儘が過ぎるような気もする。「もちろん無理だよね」とその場を取り繕いつつ、やはり断念するしかないかと精神的に追い込まれる。

 帰宅後、後ろ髪を引かれまくって諦めきれない揺れる心に踏ん切りをつけるため、土曜午後上映分の映画「マッドマックス:フュリオサ」のチケットを購入。これで残念ながら本年の富士ヒルはDNS(棄権)が確定した。勇気ある撤退を褒めてもらおうと妻子に報告するが「そもそも悩んでいるのがおかしい。当然でしょ」と二人とも反応が薄い。元々、今回の怪我がなくても当日大雨が降るようであれば棄権するつもりだったので、本番が雨なら少しはこの心の痛みも和らぐはずだ。9千名を超える参加者の皆様には大変申し訳無いが「大雨、降らねぇかな…」とつい不埒なことを考えてしまう。

 事前受付が行われる昨日は、よせばいいのに朝からX(元ツイッター)に張り付き「富士ヒル」で検索して現地の様子を伺う。多くのメーカーやショップが出展する賑やかな雰囲気の会場の上空には、残念ながらきれいな青空が広がっている。我ながら悪魔的発想と自覚しつつも、どこかの社会主義国家が人工降雨ミサイルなどをぶち込んでくれないものか、などと妄想する。午後からは、前作を一緒に楽しく観たにも関わらず猫との昼寝を優先したいというワイフに振られ、独り「フュリオサ」鑑賞へ。前作ほどではないが良い出来で、少し気分が晴れる。映画館を出たのは15時前。思わず「このまま会場に行けば事前受付に間に合うかも…」などと女々しすぎる考えが頭をよぎる自分が少し厭になってしまう。帰宅後は家庭菜園の手入れや久しぶりの模型製作、ギター、読書、猫との遊びなど思いつく限りの趣味に没頭してひたすら気を紛らわせた。

 一夜明けた今朝、いよいよ本番当日。Xによると現地の天候はまずまず悪くないようだ。さすがに今回のDNSに関する憑き物も落ちたのか、心安らかに参加者の皆さんの健闘を祈る。こちらは落車事故から2週間を経てようやくロードバイクを引っ張り出し、パンクしたタイヤの交換を含めて各部のメンテナンスに取り掛かる。軽いカーボンフレームとはいえ、車体を持ち上げる角度次第でまだ背中に鈍い痛みが走る。リアの変速が若干不調だが、これは新車時から数100km走ってワイヤーが伸びたせいだろう。ディスクブレーキには幸い歪みや音鳴りなどは見られず、前後とも効きは良好だ。見た目でもっともダメージの大きかったカーボンホイールの擦り傷は、該当部を油性の黒マジックで塗ったところ遠目にはあまり目立たなくなり、フレなども無いので走行自体に支障は無さそうだ。バーテープは事故とは関係なく早くも劣化が進んでいるので、験直しのためにも新品に張り替えよう。何れにしても、あれだけの落車事故に遭いながらよくこの程度の被害で済んだものだとあらためて思う。恐らくあと1~2週間もすれば背中の痛みも癒えるだろう。再びこの愛車に跨った時、事故の記憶を振り払って以前と同じ感覚で走ることができるかどうか自信はないが、この経験を糧により安全なロードバイクライフを心がけたい。