前回、300kmブルベを走行した際には、疲労のあまり「さすがにこれ以上の距離を走るのは無理」と考えざるを得なかった。しかしながら、興味のあることについてはある程度掘り下げたくなる生来の性格ゆえか、さらなる長距離ブルベを走ってみたいという欲求がどうにも抑えられない。そんなわけで、いつも通り冷静な判断は保留してアルコールの助けを借りつつ、ランドヌ東京主催の「ぐるっと首都圏L」という400kmブルベにエントリーしてしまった。もちろん、まだまだ貧弱な自らの力量は把握しているので、ルート中のかなりの部分が平坦であるこのルートであれば何とか完走できるのでは、という腹黒い目論見でもある。制限時間は27時間、早朝6時にスタートして翌朝9時をタイムリミットに400kmを走破するというハードな内容からすると、先週納車されたばかりのピナレロで参戦すれば体力消費を抑えられそうな気もするが、まだ走行距離が80km程度と身体に十分フィットしたとは言い難いので長時間を共にするには若干の不安が残る。そのため、今回は気心がしれた初代をパートナーにすることにして、ペダルやボトルケージなどすでにピナレロに装着した各パーツを再び初代に移植する。この初代ロードバイクの処遇については現在家庭内で紛糾中あり、当然売却するものとして新車購入に一定の理解を得たものの、たった9カ月弱の付き合いとはいえ思い出がたくさん詰まったマシンを手放すのはいざとなるとやはり名残り惜しい。個人的には何とか維持したいところだが、とにかく置き場所がないのがネックである。

 いよいよ迎えた本日、今朝は4時に起床し、長丁場になるため忘れ物などないようしっかりと準備して4時半に自宅を出る。ランドヌ東京が主催するブルベへの参加も3度目とあって、お馴染みとなったコインパーキングに駐車して準備を済ませ、スタート地点である等々力陸上競技場へ。車検とスタート登録を済ませた後、本日はもう一つ「ぐるっと伊豆高原」という同じく400kmでありながらさらにハードなブルベが開催されるので、合同でブリーフィングが行われた。終了後、気合いを入れて6時ちょっと前にスタート。いつも通り、しばらくは長いトレインで走る。途中の信号で分断されては、すぐに合流するという動きを繰り返しながら中原街道を辿って都心方面へ。五反田駅を過ぎた先で第一京浜に入り、さらに北上して見慣れた新橋駅を通過。まだ朝が早いため人通りの少なく閑散とした銀座中心部は、多くの外国人観光客であふれる最近の状況からすると新鮮である。

 京橋の交差点を右折して、トレインは東へ進む。隅田川、荒川、江戸川を順に渡ると、あっという間に千葉県に入る。我が家からは都心を挟んだ反対側ということで普段あまり縁がないため、トレインが途切れて先頭を走る際は手元のGPSマップを確認しながらルートから外れないよう慎重に走る。やがて港湾部に入り、巨大な「ららぽーとTOKYO BAY」の横から倉庫街を抜けた先で、何度かプロ野球観戦で訪れたことのあるZOZOマリンスタジアム前を通過。

 できれば少し寄り道をして青空の下で輝く海をゆっくりと眺めてみたいところだが、ここまでの走行距離は50kmほどとまだまだ序盤で余裕がないのためそのままペダルを漕ぐ。海沿いを離れ、千葉駅前で頭上に現れたモノレールの迫力に度肝を抜かれつつ、いよいよ房総半島横断へ。東金街道に入ってしばらく走ると、周囲の景色は一気にローカル色を増していく。若干のアップダウンはあるが、長閑な田舎道を一人で走るのは気分がいい。ちょうど菜の花も見頃で癒やされる。

 通行する自動車も少なくよくわからない樹木が植えられた広場や広い畑なども見られるが、そもそも千葉県全体に対する知識が圧倒的に足りていないだけに全部ピーナッツ畑に見えてしまう。また、油断していると鬱蒼と茂った木陰からいきなりキョンが飛び出してくるのでは、とどうてもいいことが気になって仕方がない。

 時間の経過とともに気温が上昇してあっという間に汗塗れになりつつ、東金市を経ていよいよ人生で初めて訪れる外房は九十九里浜へ。11時30分に最初のPC(チェックポイント)であるセブンイレブンに到着する。駐車場では先行するブルベ参加者が思い思いに休憩する中、カツ丼を購入して昼食に。ここまでの距離は100kmちょっと、まだ全体の4分の1程度だ。今のところ身体的に顕著な不具合は無いが、先のことを考えるとまだまだ完走できる自信が持てない。20分ほど休憩して出発、前後にサイクリストはおらず単独走行になる。今朝のブリーフィングで危惧された通り、向かい風が強くて中々スピードを上げられない。ここで無理をしても膝を痛めそうなので、諦めて時速20-25kmぐらいのスピードで淡々と進む。実は事前にルートを確認した時、このエリアは海沿いの爽快なサイクリングになると期待していたのだが、「九十九里浜ビーチライン」という名に反して実際には海岸線から100m以上離れており、広大な太平洋を望むことはできない。それどころか、ルート沿いには朽ち果てた空き家が目立ち、徐々に曇り空が広がる中で衰退する地方の暗部を見せられているようで気が重くなってくる。海岸沿いを離れても向かい風は続き、相変わらずペースが上がらない中でようやく利根川に辿り着く。長大な「利根かもめ大橋」を渡れば茨城県だ。

 すぐ先の2つ目のPCであるセブンで大休憩。他の参加者と少し言葉を交わしつつ、ホットコーヒーでカフェインを補給する。ここからは進行方向が変わって風の影響が少なくなり、時速30kmを超える順調なペースで走る。ただ、先程から極端に信号が少ないので、停車時のストレッチができず徐々に腰やお尻が痛くなってくる。数少ない赤信号で停車する度に身体の各所をほぐしつつ、霞ヶ浦西岸のサイクリングロードへ。琵琶湖と同様に、湖岸を走っている限りは海としか思えないが、その分まったく潮の香りがしないことに若干の違和感を覚える。天王崎公園で少し休憩しながら一枚。

 彼方には双耳峰が特徴的な筑波山の姿も。一応は深田百名山に数えられているとはいえ登山としての妙味にはまったく欠ける山だが、山頂から見渡す広々とした関東平野の眺めは中々印象的であったことを思い出す。またしても少し向かい風となって苦労しつつ、延々とサイクリングロードを走る。

 16時半過ぎ、3つめのPCであるファミマに。スタートしてから200km弱と、全体のほぼ中間地点だ。ここまで10時間半を単純に2倍すると、ゴール時間は午前3時頃になる。到着が遅くなるようだと漫画喫茶や場合によっては公園のベンチなどでまとまった仮眠が必要かと考えていたが、3時ぐらいであれば眠らずとも大丈夫かもしれない。もちろん、疲労である程度はペースも落ちるはずだが、一つのオプションとして頭に入れておく。道中は単独走行が多くても、PCでは同じようなペースのメンバーが揃うことが多く、情報交換なども活発になる。そろそろ陽が傾いて気温が下がっていく中、土浦市中心部手前辺りの地元の名物レンコン畑に沈む夕日が美しく、思わず足を止めて撮影する。

 すぐに4つ目のPCであるセブンに到着。余裕があれば、以前テレビで見た数キロ先のとんかつ屋に足を伸ばして夕食にしようと考えていたが、先程からやや胃の調子が思わしくなく油物を食べるとより悪化しそうなので、仕方なく冷蔵の味噌ラーメンのみを食べる。反射ベストを着用した数名のブルベ参加者がコンビニの駐車場に座り込んで弁当を食べている様は、傍から見ると圧倒的に怪し過ぎる集団だろう。ここから次のPCまでは約80kmの長丁場だ。しっかりと休んでから出発すると、ルートはすぐに「つくばりんりんロード」という廃線跡を利用したサイクリングロードに。

 桜のトンネルの下、ほぼ直線で路面状態も良くて実に気持ちの良いコースだ。もう少し早めに通過していれば、青空と桜のコントラストを楽しめただろう。長いサイクリングロードから一般道に入る頃にはすっかり日が暮れ、街灯の少ない真っ暗な道をヘッドライトの光を頼りに走る。まったく知らない土地を走るのも、明るいうちは移ろいゆく景色を楽しめて興味深いが、これだけ真っ暗だとほぼ周囲の視界から得られる情報はなく、地名すら認識しづらいので正直ちょっと退屈である。集中力を切らして事故など起こさぬよう、少しだけ神経を使いながら淡々とペダルを漕ぐうちに肩や腰、お尻、そして膝の痛みが徐々に増していく。

 八千代町を過ぎて古河市に入ると、ちょうど7年前に参加した「古河はなももマラソン」で走ったルートを辿ることになる。同大会では自己ベストとなる4時間26分を記録し、次はいよいよサブ4を目指すべく気合いを入れ直してトレーニングに励んでいた7カ月後、心サルコイドーシスなる難病が発症して残念ながら二度とフルマラソンを走れない身体になってしまった。当時は担当医から「マラソン大会出場もテント泊登山も未来永劫禁止」と冷酷に言い渡され、今後は一体何を楽しみに生きれば良いのかと眼の前が真っ暗になったものだが、数年の時を経て今度は同じ道をロードバイクで疾走しているのだから、ある意味で幸せな人生なのだと思う。これだけ好き放題を許してくれるワイフにはあらためて感謝の気持ちしかないが、彼女としてはこちらが家を空けている方が猫とゆっくり昼寝できて幸せらしいので、ウィンウィンなのかもしれない。などとどうでもいいことばかり考えてしまうのも、とにかく夜間走行が退屈だからである。古河駅前こそ少し栄えているが、少し走ればまたしても真っ暗な田園地帯になる。全身の痛みに堪えつつ、21時50分に次のPCであるセブンイレブン千代田町上中森店に辿り着く。住所的には群馬県になるようだが、夜間走行は完全にGPS頼りで走っているので詳細な位置はもう把握できない。数名休憩しているブルベ参加者たちも皆、さすがに疲れ切った様相だ。長かったブルベも残り100km、タイムリミットまでは11時間ほどと十分な余裕がある。ようやくこの時点で、よほど致命的な怪我やトラブルが無い限り何とか完走はできるのではないかと希望の光が見えてくる。

 コンビニを出てすぐ、利根川を渡って埼玉県に入る。昼過ぎに通過した「利根川かもめ大橋」は、河口近くでその圧倒的に広い川幅に驚かされたものだが、数百キロ遡ったここでは普通の川とあまり変わりはない。こんなところでも、あらためて長い距離を走ってきたのだと実感する。行田市を過ぎると、ルートには事前の予習通り細かなアップダウンが連続し、急な傾斜こそ無いもののすでに大きなダメージが蓄積している膝には厳しくペースダウンを余儀なくされる。午前零時を過ぎて日付が変わる時点では東松山市あたりを走行しているが、相変わらず現在の位置が今ひとつ把握できない。自分では意識がしっかりしているつもりだが、蓄積した疲労と眠気で単純なルートミスを3回ほど繰り返すに至っては、やはり集中力が落ちていることを自覚せざるを得ない。日高市、飯能市あたりもアップダウンが連続して心身ともに消耗が激しく、予想以上に下がり続ける外気温も相まって体力が奪い去られていく。それでも、頭上に「東京都青梅市」に入ったことを示す看板を見れば大いにテンションが上がり、最後の力を振り絞って急な坂を超える。そこから下った本日最後のPCとなるセブンに到着したのは午前1時40分。休憩中の他の参加者も、文字通り大きな峠を超えて心なしか安堵しているような雰囲気だ。冷え切った体を温めるべく、しかしラーメンではボリューム過多で胃に負担が大き過ぎるので人生で初めて「スープ春雨」なるものを食べてみるが、当然ながら食べごたえは今ひとつ。

 ゴールまでは残すところ40kmほどだ。一般的にはそこそこの距離と思われるが、ここまで360kmを走ってきたことを思うともうオマケみたいなものである、と距離感が完全におかしくなっている。満を持してペダルを漕ぎ出すが、ここから一気に激しい眠気に襲われる。以前、家族揃って自家用車で帰省していた頃は数百kmにおよぶ徹夜運転は当たり前だったし、夜通し高速道路を走ってほとんど眠らないままアルプスの山々を登っていたことを思うと、午前2時過ぎぐらいは全然問題のない時間帯のはずだが、信じられないぐらい眠いのである。「そんなはずはない」と思考には完全にバイアスがかかって、今思えば正常な判断力が衰えていたのだと思う。振り返れば、何度かマイクロスリープに陥っていたような気もする。最後はさすがにフラフラと蛇行して身の危険を感じ、あきる野市から多摩川を渡って八王子市に入ったあたりで歩道上に停車し、自転車にまたがったまま腕を組み目を閉じる。数秒意識を失って膝が折れることを3回繰り返してようやく意識がスッキリした。

 再び走り出し、3箇所ほど大きめの登坂を終える頃には東の空がほんのりと明るくなってきた。聖蹟桜ヶ丘駅を過ぎたあたりでまたしても強烈な眠気に襲われ、再度交差点横の歩道で立ったまま数秒眠っていると、後ろから走ってきたブルベ参加者の「お疲れ様ですー」という元気な一声で叩き起こされる。再スタート後、夜練で通過することの多い矢野口交差点を過ぎると、いよいよ長きに渡ったチャレンジも大詰めだ。このタイミングで事故など起こさぬよう、慎重にペダルを漕いで4時50分無事ゴール地点であるローソンに到着。先着して地面に座りこんで休んでいるブルベ参加者の皆様から「お疲れさまでした」と声をかけられ、あらためて無事に完走できたことにホッとする。

 ゴール証憑用にホットコーヒーを購入し、あちこちが痛む全身をストレッチでほぐしながらゆっくりと味わう。200km、300km、400kmと夢中で走ってきたブルベも、距離的に残すところは600kmのみ。もちろん、そんな長距離を走るのは完全に馬鹿げた行為ではあるのだが、同一年度でこの4種を完走するとSR(シューペル・ランドヌール)という称号が与えられ、記念のメダルをゲットすることができるのである。一般的にはまったく何の役にも立たない称号ではあるが、ここまで来たらチャレンジしてみたいような気もする。今回の400kmブルベを走って制限タイムまでのマージンは4時間強。プラス200kmを走り切れるような脚力を獲得するにはどうすれば良いのか、様々な角度から試行錯誤しつつ地道な鍛錬を重ねたい。