本日は昨年3月以来となるPET-CT検査のため、朝から病院へ。天気予報によると相当暖かくなるらしいので、思い切ってかなり薄手の上着で家を出てみたが、早朝7時前というのに手袋もいらないほどでちょうど良い塩梅である。前回の検査では、しっかりと絶食をしたにも関わらず何故か検査が上手くいかず、高額な検査料金をドブに捨てる羽目になった。そのため、今回は通常より絶食時間を多めとることにして、本来は18時間なので前日15時までは飲食可能なところを、昨日の朝食からすでに25時間ほど何も食べていない。昨夜は、ワイフからもらったばかりのバレンタインチョコを横目に猛烈な飢餓状態に苦しんだが、一夜明けた本日はその空腹感もすっかり落ち着いたようだ。

 今回はどうしても外せない用事のため、直前になって検査日程を2週間ほど後ろ倒しにしてもらったため、あらためて検査同意書にサインが必要ということで検査時間より早めの8時20分頃病院に到着。受付を済ませ、心臓血管センターにて簡単に手続きを行う。放射線科に行くと、やや時間がタイトなのか着替えの指示から問診までほぼ待ち時間がなく段取り良く進む。最初の身体測定では、体重69.9kgを記録。70kgを切るのは恐らく、1995年の阪神大震災で実家が被災した際に食糧不足のついでにダイエットをした時以来、30年弱ぶりである。昨年8月にロードバイクに乗り始めた頃は75kg前後であったので、順調に体重が落ちて喜ばしい限りだ。ただ、難病を抱えている身としてはあまり体重が落ちすぎると死期が近づいているように思えなくもないので、とりあえず今ぐらいの体重をキープするように心がけたい。

 問診では絶食時間の確認と血糖値の測定が行われ、気になる血糖値は91であった。担当医はカルテでこちらが何度もPET-CT検査を受けているベテランということを把握しているのか、注意事項の説明が若干ぞんざいであるような印象なのは気のせいか。さすがに空腹が堪えて知らずにイライラしているのかもしれない。すぐに診察室に入り、前回同様ベッドに横たわってまずはヘパリンが注入される。昨夜は空腹のあまり中々寝付けなかったので、15分の待機時間で早くもウトウトする。さらにFDGを注入された後、いつも通り薄暗い待機室へ。まだまだ眠気が続くので、支給されたペットボトル水を一気飲みして、大半の時間を寝て過ごす。約1時間後に名前を呼ばれ、小用を済ませて検査室へ。頭部、腹部を固定されて巨大な検査機器に入るのは、何度経験しても気持ちの良いものではない。無機質な機器内の上部を眺めていると、ついネガティブな考えが頭をよぎってしまう。首尾よく減少した体重を見るまでもなく、最近は縦横無尽にロードバイクを乗り回して一般的な同世代の男性よりもよほど健康的な生活を送っているが、果たしてこれがいつまで続くのかと考えると少し憂鬱にならざるを得ない。極力、頭を空っぽにすることを心がけるうちに30分ほどで終了。検査後、約20分間再び待機室で過ごした後、11時過ぎになってようやく解放された。昨夜までは、約30時間ぶりの食事は果たして何を食べるのが相応しいかと激しく妄想しまくったものだが、いざ病院を出てみるとそれほど激しい空腹感はない。結局、最寄り駅でパンを購入し、帰宅後に猫を侍らせつつ頬張って昼食とした。

 この後は特に予定もなく中途半端に時間が余ったので、平日で空いていることを期待して懸案であった自動車運転免許の更新に出かけることにする。ウェブサイトで段取りを確認してみると、オンラインで講習時間が予約可能という大変便利なシステムが構築されていた。ちょうどよいタイミングで空きがあったので予約を済ませ、最寄りの警察署へ。名古屋勤務時代は仕事で社用車を乗り回し、プライベートでは遠征登山を繰り返し駐禁や一時停止違反など軽微な違反も多かったが、13年前に東京勤務となってからは運転の機会が激減したため前回同様ゴールド免許なので、ビデオ講習もあっという間に終了。支給された新免許証をあらためて確認すると、先程撮影されたばかりの自らの姿は残念ながらどう見ても毛髪の量が十分ではない印象だ。AI技術が発達した昨今、本人確認には支障がない範囲で軽くレタッチなどをしてくれるとありがたいのだが。帰宅後、先程中央部に穴を開けられて使用不能となった旧免許証を含め、保存してある直近4枚の古い免許証を並べワイフとともに眺めてみる。今となっては信じられないほど、それこそまるでCGで加工でもしたかのように豊かな毛髪量を誇った十数年前から現在に至る時間の流れとはかくも残酷なるものか、と嘆息せざるを得ない。来週にも判明する今回の検査結果が良好であれば、予定通りプレドニンが減量されることになるだろう。前回、再燃した鬼門ともいえる7mgへの減量には正直大きな不安を伴うが、一方で副作用と思われる薄毛が少しでも改善される可能性については大いに期待したい。何れにしても、前回のように原因も分からないまま失敗という不甲斐ない結果に終わらないことを祈るしか無い。