いよいよブルベ初参加となる本日。ロードバイクでひたすら長距離を走るという謎のイベントには、独自のルールが存在する。一番の特徴は、工事現場作業員の様な反射ベストの着用だろう。その他にも前照灯、尾灯ともにそれぞれ2灯ずつ、さらにヘルメット後部にも赤色灯の設置が義務付けられる。我が愛車も、それに合わせて若干のカスタマイズを余儀なくされた。

 極限まで無駄を削ぎ落とした美しいロードバイクに装備が追加されていくのは内心忸怩たる思いではあるが、仕方がない。その他、超ロングライドに挑むにあたり昨年末にお尻の痛み対策として格安の中華3Dプリントサドル、さらに腕の痛み対策に中華カーボンハンドルを相次いで導入。最近のライドを振り返る限り、それぞれ一定の成果は上げているようだ。
 今朝は4時きっかりに起床。買い置きの菓子パンを食べていつもの薬を飲む。さすがにこの時間では猫も起きてこない。睡眠時間は4時間半と短めだが、早くも気持ちが昂ぶっているのかさほど眠気は感じない。昨夜のうちに荷台に積み込んでおいた愛車とともに、4時30分過ぎに自宅を出発。いつもは渋滞しがちな246号を快適に飛ばし、スタート地点となる等々力競技場近くのコインパーキングへ。同じく遠方からのブルベ参加者で近隣のパーキングは満車ではと、危惧したもののアプリで確認するとこれ以上ないぐらい空車だらけである。無事に24時間700円という格安のパーキングに駐車し、とりあえず途中のコンビニで購入した恵方巻を頬張る。節分である本日の夕食には、例年通りワイフお手製の巻き寿司が振る舞われるはずだが、どう考えても日付が変わるまでに帰宅できそうにないので今年はこれで済ませるしかない。当然、サッカー日本代表のアジア大会準決勝にも間に合わないが、こちらは帰宅後のDAZN追っかけ再生を楽しみにしよう。
 5時30分、満を持して荷台から自転車を下ろし、前輪を装着。やや緊張しながら、すぐ近くの等々力アリーナ前集合場所へ。現地には、すでに反射ベストを着用した大勢のサイクリストが集っている。まずは係員による車検ということで各種装備品をチェックされた後、スマホによる出走受付が終了。それとなく周囲を眺めると、女性も散見されるが50歳以上ぐらいの同年代男性が大半を占めているようだ。ようやく少しだけ緊張から開放された5時50分頃、ブリーフィングが始まった。
 早朝6時前のこの一見して怪しげな集い、何も知らない人が見たら相当異様な光景ではないだろうか。実際には極めて和やかな雰囲気の中、簡単な注意事項が述べられた後にいよいよスタートとなる。といっても、タイムを競わず制限時間内に完走を目指すというこの競技?の性格上からか、颯爽と飛び出していく人達がいる一方で、のんびりと仲間内で喋って一向にスタートしなさそうな人もいて、周囲には何とも不思議な雰囲気が漂う。こちらは集団で走った経験がないし今日もできるだけ一人で走りたいので、前後に誰もいないタイミングを狙って満を持して出発する。
 しかし、競技場を出てすぐの信号で前方の集団に追いつき、また後ろからも数名やってきたため、やむなく10台ほどの車列の真ん中あたりで走ることになる。前方不注意で前の自転車に追突しないか、あるいは自らの不用意なブレーキで後ろから突っ込まれないか緊張するが、どうやら時速30km前後の速度域では普通に前に注意していれば特に問題はなさそうだ。信号で分断されたり追いつき追い越されたりで、車列の長さは刻々と変化していく。夜明けとともに徐々に東の空が美しい朱に染まり始め、思わずスマホを取り出して撮影したくなるが、前後でそんなことをしている人はいないので我慢する。やはり集団の中では自由が効かず、少し窮屈だ。東神奈川駅前からみなとみらいに入り、観覧車の前でちょうどスタート後1時間となった。
 距離にして約19kmほど。赤信号による停車が多すぎるし車列全体のペースも今ひとつ上がらないが、先は長いので皆抑え気味なのだろう。いつもは賑わうこの辺りも、さすがにまだ人通りは少ない。そのままハマスタの横を通り過ぎ、磯子方面へ。以前、毎月のようにビシアジ釣りで通い、今は廃業してしまった懐かしい船宿の横を駆け抜け、八景島方面へ。
 まだまだ車列は続く。よく言われる、前の人が風よけになって楽に走ることができているかどうかはよくわからない。京急田浦駅近辺以降の若干のアップダウンを経て、相模湾を目前にした47km地点の渚橋ファミマが本日最初のPC(チェックポイント)だ。本来、商品を購入したレシートが証憑となるが、改装工事中なので持参した自らのブルペカードと交差点の名前を収めた画像を撮影する。そのまま海岸沿いを西へ進み、逗子海岸から由比ヶ浜を通るあたりで車列がばらけ、ようやく一人旅に。写真撮影のためにまだ誰もいない稲村ヶ崎に立ち寄るが、後方からやってくるブルベ参加者は素通りしていく。
 ついでに近くのコンビニでおにぎりを購入して一息をつく。まだまだ先は長いので、全体の行程はなるべく考えないようにする。走り出してすぐ前の参加者に追いつき、しばらく数台で走る。その後も一人になったり数台で走ったりと、刻々と状況は変化する。特に言葉を交わすわけではないが、なんとなく参加者同士の連帯感のようなもの感じるのは自分だけだろうか。
  まだ人影もまばらな江ノ島を過ぎ、134号線から1号線へ。二宮町に入ったあたりで明確に空腹感を覚え、やや早いがランチの場所を物色しながら走る。今日は膨大なカロリーを消費するはずなので、できるだけ早めかつ多めのカロリー補給を心がけたい。左手に松屋を発見し、迷わず停車。10時半と半端な時間で店内は空いているため、派手な反射ベストを着ていても気後れすることはない。迷わずロースカツ定食をオーダーする。
 様々な局面で値上げが相次ぐこのご時世、これで590円とはコスパ良すぎだろう。一心不乱に食べながら、昨夜チェックしたブルベの攻略サイトに「走行中は消化に悪い脂っこいものは避けるように」と書かれていたことをふと思い出す。すっかり満腹になって、再びスタート。順調に小田原市内を過ぎ、いよいよ伊豆半島に入る。昨年末に走ったばかりの起伏に富んだルートをひたすら進み、真鶴半島の手前あたりがちょうど100km地点となる。これで3分の1、まだ先は長い。12時前に熱海を通過。写真撮影に興じる精神的余裕はあまり無いものの、ダイナミックな海岸線を走っていると随所で印象的な風景に出会う。
 
 伊東市街を越えると、いよいよ往路も大詰めだ。さすがにペダルを回す足は徐々に重くなるが、少なくとも折り返し地点までは無事に到達できそうで少しホッとする。しかしながら、残り10kmほどというところでルートは急激な上り坂となる。本日の折り返し地点は伊豆高原駅。冷静に考えれば、高原というからには海岸線からある程度登るの致し方ないだろう。諦めてインナーローギアを駆使し、ゆっくりとしたペースで登り続ける。そのまま高原に到達するはずが、なんとルートは一旦大きく下って海岸線に…。再び高原を目指して登るという効率の悪い作業に心が折れそうになるが、今更引き返すわけにも行かない。昨年ワイフと訪れたばかりで見覚えのある城ヶ崎海岸近くを通り、14時10分ようやく伊豆高原駅に到着。江戸城築城のため伊豆から切り出された大石を運んだという「御石曳」が画像チェックポイントだ。
 まだ全体の半分と考えると気が遠くなるが、人力でこんな巨石を江戸まで運んだ当時の人々の苦労を偲ぶと、極めて効率の良い移動手段であるロードバイクに乗る現代人がこの程度で弱音を吐く訳にはいかない。すでに150kmを走って身体のあちこちに痛みが出始めているが、致命的なものでない限りはできるだけ精神力でカバーしよう。古の人々に勝手に勇気をもらって気合いを入れ直す。立派な駅の構内で静岡のB級グルメといわれる「みしまコロッケ」を購入して貪り食い、持参したブラックサンダーとチョコレートようかんも追加。帰路に備えてしっかりと休憩とエネルギー補給を心がける。駅施設内では「本日はあら汁を無料で提供してまーす」と係員の元気な声が響くが、とても賞味する余裕はない。14時30分、無事に帰着できるかどうか果てしない不安を抱えつつスタート。ただひたすら来た道を戻る。もちろん、往路と同様にアップダウンが連続してさらに疲労が蓄積していく。とはいえ、前半の貯金で時間的にはまだまだ余裕があるので、ペースはあまり気にせず淡々と進む。真鶴駅手前で海沿いの135号を外れて小田原湯河原線へ。前回も走ったみかん畑を横切るルートを、膝を痛めないようできるだけ軽めのギアで坂を登る。前後を走るブルベ参加者と互いに抜きつ抜かれつしながら、17時半過ぎPCであるJR根府川駅に到着した頃にはもうすっかり陽が落ちていた。東海道線で唯一の無人駅というだけあって、レトロな駅舎は趣があって良い感じである。
 無事に写真撮影を終え、135号線に再合流してしばらく走ると小田原市街地に入る。そろそろ両肩の疲労が顕著になり、両膝もこれまでになく痛む。200kmは無事に越えたが、残り100km弱という距離は過去に走ったことのない未体験ゾーンだ。ただ、ここからは概ね平坦なルートなので気分的には楽である。引き続きあまり無理をせず、程々のスピードで進む。
 海沿いの134号に入ったタイミングで、夕食について検討し始める。この後まだ数時間走る必要があるので、お昼と同様にコンビニではなくある程度ガッツリと補給したい。といっても、江ノ島界隈のお洒落な店に入るわけにもいかないので果たしてどうしたものかと考えていた矢先、茅ヶ崎あたりで目に飛び込んできた「京都北白川ラーメン魁力屋」の看板に思わず急停車。以前息子が「結構おすすめ」と言っていたことを思い出し、躊躇せず店内へ。普通のラーメンとライスを注文する。
 背脂がたっぷりな割には全体としてあっさりと食べやすく、あっという間にスープまで完食。20分ほどゆっくり休憩したことで、かなり体力も回復したような気がする。イルミネーションも鮮やかな江ノ島を過ぎ、真っ暗な海を横目に見ながら海岸沿いを進む。徐々に気温は下がっていくが、走っている分にはそれほど気にならない。20時25分、往路と同様に逗子のファミマで通過証明用の写真を撮影。数名いるブルベ参加者と少し言葉を交わす。当然ながら相当疲れ切っている様子だが、みな良い笑顔だ。残りは約50km、3時間ほどだろうか。油断は禁物だが、大きな事故や怪我がない限り完走はできるだろう。
 ファミマから東京湾側へ抜けるルートの途中、登り坂で軽くダンシングにて足を休めようとしたところ、不意に軽い吐き気を催す。長時間自転車に乗り続けるブルベでは相当胃腸に負担がかかるらしいが、やはり先程のラーメンスープが消化しきれていないのかもしれない。普段はどんなに食べすぎても消化云々で悩んだことはないが、やはりそれだけ特殊な状況ということだろう。以降は多少の登り坂でもシッティングのままでペダルを漕ぐことにする。八景島あたりでサイコンのトラブルにより、若干ミスコースをしてタイムをロスしてしまうが、22時20分十数時間ぶりにみなとみらいに戻ってきた。ここまでの道中、諸々計算しながら23時までにゴールできれば上出来と考えていたが、どうやら間に合いそうもない。だが、もはや到着時間などどうでもいい。このまま無事にゴールできればそれだけで満足だ。運河に映り込む夜景が美しく、自転車を止めて撮影する。
 LINEの家族グループに「夜景が綺麗」と画像を送ったところ、なんとワイフから「サッカー負けたよ」という返信が。信号待ちでその文面を確認した途端、危うく張り詰めていた緊張感が途切れその場に崩れ落ちそうになる。確かに、事前に「追っかけで見るからネタバレ禁止」とは一言も言ってなかったが、それにしても容赦がなさすぎる。取り返しのつかない事態に「ネタバレ禁止!」と怒りのスタンプとともに抗議のメッセージを送ったところ「じゃあ勝った」という謎の返信が来たので、これ以上の追求は諦める。
 気を取り直して、残りの距離を淡々と消化する。東神奈川駅を過ぎ、再び起伏のある1号線を走る最後の10kmほどはもう時速25km以上は出すことができない。23時を過ぎ、すっかり静まり返った街中で一人ペダルを漕いでいると、何とも表現し難い感情が押し寄せてくる。ゴールまで残り数百メートルになると自然と笑みがこぼれてくるが、極度の疲労のあまり自らの感情を仔細に検討することは出来ない。23時25分、無事ゴール地点のファミマに到着。
 証憑レシート入手のため、早々に店内でのど飴を購入。駐車場で談笑している他の参加者と「お疲れ様でした」と声を掛け合う。レシートとブルベカードを撮影し、荷物を整理している間にも順次参加者がゴールしてくる。午前6時のスタートから17時間25分。冷静に考えると完全に頭のおかしい所業である。誰に頼まれたわけではなく目に見えて得られるものもない、傍目には無意味でしかない300kmだ。しかし、この何とも形容し難い爽快感は、振り返れば六甲全山を縦走した時やフルマラソン完走時と同様に、自らの足で積み上げたよくわからない何かに対するご褒美としかいいようがない。
 最後、このゴール地点からコインパーキングまでさらに約2㎞走らなければならない。もちろん張り詰めていた緊張から解放され身体は限界を超えているが、やるべきことを終えて晴れやかな気分で走ることができる。午前零時前パーキングに到着し、自転車をバラして荷台に積み込んでようやくホッと一息をつく。一応着替えは持参しているが、もう着替える元気はない。そのまま運転して自宅を目指す。徐々に興奮状態から覚めると身体が芯から冷え切っていることに気付き、車内の空調を28度まで上げて暖を採る。振り返ると、やや無謀かとも思えた本日の300kmブルベ参加、結果として大きなトラブルもなく完走できたのは運も味方したような気がする。一日中ペダルを漕いでしばらく自転車はいいかと冷静に考える自分がいる一方で、心の何処かがブルベの有する魅力の一端に触れたらしく一刻も早く次のイベントに参加したいと願う気持ちもある。まずは本日のダメージから回復した上で、すでにエントリー済みの3月上旬200kmブルベに向けて体調管理に励みたい。