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● 今日はGW最初の3連休の最終日ということで
久しぶりに宿泊予約がスッカスカ、読書に専念するにはもってこいの日であります
● 地道に読み進めている小田和正の評伝『空と風と時と』
これから読む第5章に、オフコースの”そこが知りたかった!”が詰まっているはず
● オフコース中期2(1980〜1982年)
オフコース=小田和正のイメージが確立、鈴木康博が脱退していく...という頃ですね
● すべてが順調に回っていた
オフコースというバンドが、紆余曲折を経て、ようやく、ここまで到達した___
● ”時に愛は/僕等の時代”
A面=小田、B面=小田、上野”マジョ”による小田中心のプロモーションが加速___
● そのことだけが理由の全てではないにしても
オフコースの中に自分の居場所を失った鈴木は、脱退の意志を強く固める
● 清水は、”小田+その他4人”の形になることを危惧
松尾は、”鈴木はオフコースが売れた後の音に囚われすぎて苦しんでいた”と回顧
● 小田は、鈴木が抜けるなら解散だと思っていた
「あまりにヤスに頼っていた部分が大きかった」「片腕以上のものが捥がれるというか」
● 脱退宣言後も、ツアーやアルバム制作に参加した鈴木を
”えらかった、可哀想だった、気の毒だった”と見ていた清水...非常に切ない話です
● 『over』は
小田と鈴木が、互いに向けて惜別の気持ちを伝えているアルバムと言っても過言ではない
● ”心はなれて”
この歌詞の全てが、小田から鈴木へ向けられた言葉としか思えません
● ”君におくる歌”
この歌詞の全てが、鈴木から小田へ向けられた言葉としか思えません
● そして鈴木の”メインストリートをつっ走れ”があって
究極が小田の”言葉にできない”
● だからこそ、この曲を歌うと感極まってしまい
だからこそ、鈴木の脱退以降はしばらく封印した...ということなんだろうね
● 5人での最後のツアー中に作られた”YES-YES-YES”は
小田「全てを全面肯定するような明るい曲、自分の気持ちの正反対の曲を作りたかった」
● オフコースが解散したのは1989年のこと
でも、やはり小田の中では...鈴木が脱退した1982年が”オフコース解散の年”
● 大枠としては、知っていることが大半の第5章でしたが
メンバー自身の言葉で当時のことが語られる、それだけで十分貴重だし...面白かった
● 面白かった! と言っても、まだ本の続きはあるわけで
4人になってぎくしゃくし始めるオフコースのことについても、今から興味津々です
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