午前中、どばっばーっとなんだかいろいろ降りてきて

書き留めるタイミングにはなく、
まとまる間もなく消えていくような感じで霧散していって

変わらず変わり続けているこの世界に居る事をふっと思い出したように
でも、なんにもやりたくないぼんやりとした気持ちになった。

否定に否定を重ねても、生き続ける人間。

価値が無いとか意味が無いとか、そんなものが無くても

生きている

命を、続けていくのに、どれほどの細胞と栄養が必要だろう?
その細胞を形成する成分、分子、原子、どれほどの数だろう?
その存在に、意味はあるのか?

今目に見える景色の存在に、何か意味はあるだろうか?
遠くに見える山の存在に意味はあるのだろうか?

意味を求めるのは人間の面白い特徴だと私は思って居る。

在りたいから、そこに在る。
誰かに動かされてそこに在るのだとしても
そこに在ることを辞めたりはしない。

本当にいなくなりたい人は、居なくなってしまう。

生きている人は、生きていたいから生きている。
そんな自覚さえしないままであったとしても
居なくなりたいと本気で願い実行したりはしない

命は生きていたいからそこで生きている。

意味を求めるのならそれも良いと思う

だけど、意味が無くても
その命にめいっぱい秘められた可能性と存在欲求を
無視し続ける事は難しい。

人は、生きていたい。
のびのびと生きていたい。

それが上手くいかないと感じている時

死を、無価値観を、感じようとする。

それを感じるということは、生きていたい証拠だ。

本当に意味のない、価値のない、存在があるのだとすれば
それは既に死に意志が魂が肉体から離れ肉体が消え去り
存在することを辞めてしまった時だ。

何もないに、意味も無い。

あなたがそこに居るという事は
そこから始められる無限の可能性を持っているという事だと
私は確信している。

変わらないと思う人も
変わりたいと思う人も

自分の願いを叶えながら
そこに存在し続けている