私は、自分の人生が「満たされているな~」と感じられれば
結構良いな~と思うのだけれど・・

その「満たされた人生」の価値観は人によって違う。

「とにかくお金の心配がない人生」とか
「世間の目を気にして無難な人生を生き続ける事」

だと思っている人は、別に止めやしないので
とりあえず、それやっててくれたらいいかなと思う。

でも、そうじゃないって人がいることを知っていて欲しい。

そして、もしも、そんな家庭や家族や先生や身近な人や
学校や職場で息苦しくなっている人が居たら・・

飛び出して良いんだよ( ̄▽ ̄)

中途半端に紐のついたバンジージャンプじゃなくって
本当に空を飛べるスカイダイビングをしてみて良いんだよ。

近場のジェットコースターやお化け屋敷じゃなくて
雪国でボブスレーや英国でゴーストハントをしたって良いんだよ。

自分を満たすものが何か?
本当に知っている人はいつだってエネルギッシュだ。

それが世間の非常識だったり倫理的にタブーだったりしても
まずは、一度、自分で受け止めてみようじゃない。

それは、もしかしたら
気持ち良いだけで、逃避かもしれないよ?
それとも、本気で自分を満たすものか?
ちゃんと見て見よう。

一時しのぎの刺激が欲しいんじゃなくて
埋まらない欲求を埋めたいだけじゃなくて

深く、深く、感じてほしい・・

私みたいに、出てきたものの
それの意味が分からなくても・・

やってみて、体感してみよう。

手にした実感を噛みしめて
涙が出るほど嬉しいかもしれない
言葉に出来ないような感覚になるかもしれない
あたりまえすぎて何の感動もないかもしれない

でも、決まったら
それでGo!だ(*´▽`*)

そして、違ったら違ったで、次へGo!だ\(//▽//)\

私はバカだった

テーマ:

ちょっと自分であんまりないいかただけれど


私は、かなり、馬鹿だと思う


自分に気づけず
自分を理解できず


それ故に

他者の気持ちや想いに気づけず
理解できず配慮も出来ない


周囲の環境に侵食され
親に、学校に、
自分の視点から見て正しそうなことを主張する人達に


自分に人生を明け渡してた


感情に操られ
恐れに苛まれ
不安に駆られ
情報に踊らされ


自分を生きる事を放棄してしまっていた


私は、今でも馬鹿だと思う。


でも、その自分を責めているわけではない。


私は馬鹿みたいな発見をしたことを素直に喜んでいる。


そして、それをみんなに伝えていきたい。

自分の人生をおもいっきり生きて良いんだよって。

相手のドラマを生きないこと

テーマ:
最近気にしているのは

相手のドラマを生きないこと

つい、相手の描いているだろう私を演じてしまう

でも、それはしなくても良いことなんだと知って

でも、これがなかなか辞められなくて

気がついたら相手の世界を生きてしまう

私の世界を、私のドラマを

相手の世界、ドラマと同じくらい大切に生きよう

私が目の前の人を大切に思うくらい

私自身を大切にしても良いんだって

みんなの前に、私自身に言いってみてる今日この頃です

相手の目線・・・

テーマ:

ただ、知らないだけ


ただ、その目線に立ったことが無いだけ


ただ、、私とその人は違うだけ


ただ、、、私とその人は生きてきた世界が経験が違うだけ


お互いが同じ生き物である以上

同じ視点を持つんじゃないかと期待してしまうけれど・・


観測点の違う私とあなたは

同じように見えて

一生同じ視点で物を見ることは無い。


どれだけ重なって同じものを見ても

頭蓋骨めり込ませても

視神経つなげて同じ目玉で見ていたって


処理している脳が違う


でも、どうしたって人は期待するし勘違いをするんだな

身体の声を聴くこと・・

テーマ:

身体の声、自分の声を聞くと良いよと話しても


大抵の人は、自分の聞きたい言葉しか耳に入れないし

そもそも意味わかんないってことも良くある。


だから聞きたくなるように話すこと

だからその人の経験から

推測でも良いのにわかるように伝える事


それって相手にとっても親切なことだと思う。


自分が出来ているかどうかはさておき・・・(汗

生きている

テーマ:
午前中、どばっばーっとなんだかいろいろ降りてきて

書き留めるタイミングにはなく、
まとまる間もなく消えていくような感じで霧散していって

変わらず変わり続けているこの世界に居る事をふっと思い出したように
でも、なんにもやりたくないぼんやりとした気持ちになった。

否定に否定を重ねても、生き続ける人間。

価値が無いとか意味が無いとか、そんなものが無くても

生きている

命を、続けていくのに、どれほどの細胞と栄養が必要だろう?
その細胞を形成する成分、分子、原子、どれほどの数だろう?
その存在に、意味はあるのか?

今目に見える景色の存在に、何か意味はあるだろうか?
遠くに見える山の存在に意味はあるのだろうか?

意味を求めるのは人間の面白い特徴だと私は思って居る。

在りたいから、そこに在る。
誰かに動かされてそこに在るのだとしても
そこに在ることを辞めたりはしない。

本当にいなくなりたい人は、居なくなってしまう。

生きている人は、生きていたいから生きている。
そんな自覚さえしないままであったとしても
居なくなりたいと本気で願い実行したりはしない

命は生きていたいからそこで生きている。

意味を求めるのならそれも良いと思う

だけど、意味が無くても
その命にめいっぱい秘められた可能性と存在欲求を
無視し続ける事は難しい。

人は、生きていたい。
のびのびと生きていたい。

それが上手くいかないと感じている時

死を、無価値観を、感じようとする。

それを感じるということは、生きていたい証拠だ。

本当に意味のない、価値のない、存在があるのだとすれば
それは既に死に意志が魂が肉体から離れ肉体が消え去り
存在することを辞めてしまった時だ。

何もないに、意味も無い。

あなたがそこに居るという事は
そこから始められる無限の可能性を持っているという事だと
私は確信している。

変わらないと思う人も
変わりたいと思う人も

自分の願いを叶えながら
そこに存在し続けている

やりたいことをやっちゃいけないって

何時の間に身に付くんだろう?

そう思った事が有ります。

人は、学習する生き物、、どこかで学んできたに違いない。

やりたいこと、やっちゃダメって言われてしまう年代

もちろんあるある

小学生ぐらいの年齢では、何かとやっちゃいけないことだらけ

でも、そこかな?
小学生頃には、好奇心や自制心と反抗心が産まれて
確かに悩ましい年代にはなるのだけれど・・
でも、そこかな?

もっと、さかのぼってみる。

産まれて、数年の間、何んでも触れるも口に入れてしまったり
何もできなくて、不快感があるとただ泣く、
泣くと周りも不安になってその恐れが皮膚を超えてやってくる。
じっとしてられなくていろいろなものに近づいて行ったりすると
親になった人、周りの人は大きな声で

「危ない!」「ダメ!」

子供は、思うがままに動き回る。
お腹が減った、おっぱいが欲しい
面白そうなものがある気がする、行ってみたい。
これはなんだろう?これはなんだろう?
思うままに動くこともままらないけれど
精いっぱいそこに向かおうとする。

そこに、あっさりと柵を立てられ
大人たちの安心安全の世界に放り込まれて
ダメなものだらけになっていたりする。。

もちろんね、大人たちが悪いわけじゃないよ。
だって、本当に危ないこともあるもの。
本当に、わからずに興味だけで動いているから
危ないこともあるんだもの。

大人だって、親になった人だって
どうやって子どもと向き合えばいいのか
わからないこともあるよね。

正解のない子育ての時間を、ずっと過ごしてたら
大声あげたくなったりもするよね。

大人と、子供とが一緒に育つ学校があったら良いな・・

子供と、大人が一緒に学べる学校があったら良いな・・

発達障害、高機能障害、共感覚(霊感など)など
親も子も、困惑しがちな出来事などに幅広く知識がある方が
集まっててさ、みんな個性だよ~って子供の頃から触れ合って
親と子供と一緒に学べたり一緒に育てる環境があったら良いな・・

私自身、子供の頃に、、見えないものが見えだして
「これは言っちゃダメだ」って、ずっと思ってきた。
理解されない、見えてない、感じてない。
まるでこの世界から息をひそめて隠れてるような
そんな気持ちになってた。
いろんなものが見えてわくわくすることもあったけれど
こんな自分が大嫌いだった。

今は、嫌いじゃない。
一生懸命に「許そう」としている。
その存在を、自分で、無理にでも受け取ろうとしている。

そうじゃないんだよなーってわかってても
まぁ、人間いろいろあるのだ(笑

私がセラピストという生き方にこだわりだしたのも
ここからかもしれない。

人は、「人として生きていること」を学ぶだけで
ものすごくやさしくなれると思うんだ。

経済活動、ボランティア、
知らず知らずに集団の中で自分を消していく

そうじゃなくって、自分が生まれてきた輝かしい命だってこと
親子なんて特に、めっちゃイベント盛りだくさんの
命の輝きの関わりなんだもの。

今の私には、何をしていいのかさえよくわからないのだけれど

いつも見る、
「どうやっても明るくて幸せな未来の景色」がそこにあるのなら
私はそこに行こうと思う。

何時か来る「未来」への道のりは

本当は何時だって目の前にある。

まだ、なーんにも初めてないしどうして良いのかもわからんのですが

私に貴方のちからを貸してください。