自分の言動とか、行動をちゃんと覚えていて、
振り返ってもしかして、あれが原因だったか…と
何かがあったときに振り返れる人はだいたい
悪くないと思う。
悪いのは、なぜか開き直り、自分は悪くないと、
堂々と言ってのける人だと思う。
心の中では自分自身は悪くないと、思っていても、
あなたにも原因があると、そう人から言われるのなら
何かがあると、少し落ち着いて考えるべきだと思う。
世の中にはいろんな人がいるので、
自分以外の人を軽く見て、揚げ足をとったり、
重箱の隅をつつくような、そこ?そこじゃないでしょ!問題は!
とはたから見てて言いたいような変な人もいます。
要するに結局言い逃れをしたいのか、
自分の主張を正当化したい、真実がどうかよりも、
とにかく、間違っていないと押し通すような、強引で独裁的な
雰囲気がいまだに日本を動かしているかもしれない気がします。
今の世の中は、いろんなことにすぐ気が付き、
面倒見がよく、自分はそれほど得にもならず返って
人から誤解を受けたり、悪者にされかねないようなことでも
平気で出来る人のほうが追い詰められやすくなっている気がする、
ので、なぜか「すみません」と素直に言う人のほうが
責任を追及されたり、非難の的になってしまい、
本当に責任があったり、原因を作った人は、
陰で息をひそめ、ことが収まるのをただ待っているだけで
そんなことが私はとんでもないと、腹が立つ!と
1人憤っています。
なので、私は、誰が一体悪いのか?という場面になったときに、
間違えないように、責任を取らされそうになっている人が
本当にそうなのか、森友学園問題でも
書類の改ざんを指示され、おかしいと思いながらそれを
主張することもできない環境に追いやられ、奥さんにだけ、
自分の思いを伝え、映像を録画していた方の気持ちを考えると、
同じように何も言わずに亡くなった人たちが
たくさんいるように思えます。
なので、日本と言う国の根本の、どこで間違ったかという
大事な部分について、
人間は、よく会話にも出てきますが、
「やり残したこと」があるかないか。
やり残したことが無いのなら、その人は自分の人生で
為すべきことを成したという、実感や手ごたえがあって
それほど思い残すことはないかもですが、
不慮の事故や、まだ寿命ではなかったのに
なぜかこの世を早めに去ることになったような、
未練がある、ちゃんとしていないことがあると、
そのような方がこれからは増えないように
そういう社会を作っていくのが、これからの大人の使命かなと
思います。
自分に嘘をつく、のも間違いであるし、
自分が何か気持ち悪いとか、やりたくない、と思うことに対して
どう折り合いをつけていくか、それがスマートにできるように
なれば、いいのかもしれないと思います。
人の評価よりも自分がどう感じるかだと、
その感覚のほうが大事ですよね。
周囲が助けてくれた、気づいてくれたから何とかなった、とか、
そういう関係性が、普通で当たり前だと私は感じながら
生きていますが、
実際のところ、真実を知る人々は、多分だいぶ前から
相当おかしなことになっていたと、自分の国の事でありながら
驚愕していたと思う。
あまりの事に言葉も出ない、そこまでいけば
PTSDとか、トラウマ的なレベルにもなり、
それは賠償とか、精神的な苦痛に対して国がちゃんと
きちんとしなければならないことでしょう。
何に対する何の補償なのか。
それがあいまいになったりうやむやになったり、
適当にその場しのぎで表には分からないように
終わらせようとするから中々決着がつかない。
コロナ給付金にしても、その他の政策、税金の使い道
だから、時間がかかってでも、真実を突き止めて、
そのことが公表され、大勢の人が納得するような
答えが出るのを待つしかないと一国民として思います。