今日は、岩手県『山田町応援会』の講演会に行ってきました。

山田町は二万人ほどの町ですが、今回の地震と大津波の被害に遭い、町は大きく変わってしまったそうです。

高松洋子さんという1人の女性が、震災復興支援に何か自分にもできないかという思いから、全国の山田さんに呼び掛けて山田町を応援しようと発足した会です。

全国に山田さんという名字の方は87万人もいらっしゃるようです。新聞社に呼び掛けたところ、各新聞社にも山田さんという方がいて支援していただけることになったり、テレビにも取り上げられたりと、支援の輪が広がっていったそうです。今後も定期的に山田町の方とのふれあいの場などを企画して支援の輪を続けていきたいということでした。

詳しい活動はコチラにあります。↓

http://yamadamachi.org/index.html

山田さんという名字の人以外もどんどん支援してくださいということでした。

いろんな人とのふれあいを続けていくことは、地元の人にとっても励みになるということです。


今日は、山田町から地元消防団の団長をなさっている大石さんと、山田町で代々続くスーパーを経営なさっている間瀬さんというお二人が来られて講演をされました。

大石団長さんは、非常にまじめに話をしていただき、活動報告のような形式になっていましたが、途中、質疑応答などで素のままお答えになっている内容は、本当に壮絶な体験だったと思いました。

自衛隊からの助けが来るまでは、地元の消防団員で、身元不明者の方々の名簿を作成し、ご遺体の発見と搬送など一連の作業を全部なさっていて、300名ほどのご遺体をお水で綺麗にしてカーテンで(毛布が無かったので、カーテンで代用したのだそうです)くるんでまわったのだそうです。それまでは淡々とお話されていましたが、今でも、そのときのことを思い出したりすると眠れない日があるということでした。

大石さんのところの消防団員で亡くなった方はほとんどいらっしゃらず、日頃からの確認がしっかりと出来ていたのだそうです。いざという時に、自分の仕事をまずしっかりとやる、(水門を閉めたり、といった作業。すべて8分で終えられる訓練ができていたので、それでも充分に時間はある)それが終わったら、高台に逃げる、このことが徹底されていたようです。


もうお一人の間瀬さんというスーパーの専務さんは、津波ですべて流された翌日、店舗の中にあって無事だった食べ物やお菓子を袋に詰めて、避難所に配ってまわられたそうです。さらにその翌日には、店舗の中のものを全部開放して持って行ってもらい、三日後には、別の場所から商品を仕入れて果物を販売されたそうです。

自分ができることは食を扱うことなので、やることといったら新鮮な食を提供することだ、ということでした。

その後、バイパスに店舗をつくることになって、お盆には間に合わせようと工事の人たちの支援もあり、お盆前にオープンできたのだそうです。そのときに、町内の商店の人にも呼び掛けたということでした。

店舗を開けると、国道にはものすごい車の列ができて、地域の人からも喜んでもらえたそうです。

震災を経験して大事だと思ったことは、「まず動く」ということだったそうです。それは、地元のリーダーの人の言葉で「まず動くべ」ということをいつも聞かされていたということもあったそうですが、そのことが本当に大事だと思ったというお話でした。


まだまだ復興はこれからだと思います。

私たちにもできることはたくさんあります。

自分にできることを考えていないで、動くこと、これがこれから大事だと改めて思いました。


ちなみに、私は明後日から合宿トレーニングです。

自分にできることを精一杯やって、日本だけでなく世界の復興が今必要な時期になっていると思いますので、そのための活動をしてきます。


皆さまにたくさんの愛が届くことを願って。