中道改革連合破滅の原因―「正しいこと」は通用しない | 韓国の森3

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2014~2024~

 

 

 

 

「責任ある積極財政」は、「物価高対策」の正反対を向いている。しかも、高市総理はそのことを隠そうともしない。その象徴が、1月31日に川崎市で選挙の応援中に飛び出した「ホクホク発言」だった。「いま円安だから悪いといわれるけれども、輸出産業にとっては大チャンス。食べるものを売るにも、自動車産業にもアメリカの関税があったけれど、円安がバッファーになった。ものすごく助かりました。円安でもっと助かっているのが外為特会の運用。いまホクホク状態です」

 

この発言からハッキリとわかるのは、高市総理にとって大切なのは自動車などの輸出産業で、円安による物価高で苦しめられている国民生活は二の次か三の次だ、ということである。

 

力強い言葉が未来を語ってはいる

 

「日本列島を強く豊かに」「日本はまだまだ成長できると私は確信しています」「供給力を強くするとともに需要をちゃんとつくっていく。これ、高市内閣におまかせください」。

 

とにもかくにも、高市総理の言葉が力強いことはまちがいない。もうひとつの特徴は、未来を語っていることである。どんなにナンセンスであっても、夢がある未来への道を語っている。総理が説くとおりの未来が訪れれば、そこでは物価高も解消されていそうに思えてしまう。やはり有権者は「アリとキリギリス」の話では、「キリギリス」より「アリ」でありたいのだ。そんなことを考えさせられた。

 

 高市総理の応援演説は、実現性を問わなければ、冬になればアリのように豊かに暮らせて、キリギリスにはならずに済むように聞こえる。実際には、キリギリスのように、冬が来る前に財政が破綻するか、破綻の烙印を押されてしまう危険性を強くはらんでいるが、いまの閉塞状況から抜け出て、未来に安息できそうな気にさせられる。だから、旋風を巻き起こしたのだろう。

 これに対して野党の訴えはどうだったか。

 高市政権の「責任ある積極財政」は、すでに述べたように市場から半ば「ノー」を突きつけられている。そのことは野党にとって有利な条件だったはずである。「財政規律を守って市場の信認を獲得し、円高に誘導して物価を確実に下げる。物価が下がれば消費が増えて企業の売上げも増加し、給料も上がって、ひいては失われた30年も解消し……。しかし、積極財政を進めるかぎり物価は上がり続け、日本の信頼自体が失われてしまうんです!」。

 こうして高市自民党とのあいだに争点をつくり、未来への展望を示しながら、「責任ある積極財政」の欠陥を暴くことができたのではないだろうか。

 

 ところが、ほとんどの野党は、未来への展望をほとんど示さないまま、「物価高対策」として消費税の減税を訴えた。消費税は年金や医療、介護などの社会保障制度を支える安定財源なのに、一時的に食いつなぐためにそこに手をつけたら、冬の食糧がないキリギリスへの道まっしぐらではないか。

 

食料品の消費税率をゼロにするのは日本経済にとって「マイナス面が大きい」という回答が88%に上った。「需要を喚起してさらにインフレが加速する可能性が高い」(東京大の佐藤泰裕教授)、「減税に踏み込めば社会保障や財政の持続可能性に不安が生じる」(一橋大の陣内了教授)といった声が相次ぎ、「物価高対策」としての効果に大きな疑問が投げかけられた。

 結局、効果が望めないうえに、財政悪化につながるとして市場から警戒されるなら、「責任ある積極財政」と同じで、高市総理の主張とのあいだに争点をつくることはできない。

 

 とくに中道改革連合は、高市内閣の積極財政を批判しながら、みずからは食料品の消費税率を恒久的にゼロにすることを主張したが、いかがなものか。野田佳彦共同代表は「税金をいっぱい使って、足りなかったら借金をして、将来の世代のポケットに手を突っ込んで使うのが積極財政」と批判したが、同じ口で食料品の税率をゼロにすべきだと説いた。食料品の税率ゼロもまた、「将来の世代のポケットに手を突っ込んで使う」ことになりかねない以上、どうにも説得力がない。

 英紙「タイムズ」に「はっきり話し、なにもいわない」と皮肉られた高市総理の演説に対抗するには、積極財政とまったく異なる物価高解消と経済成長の道筋を具体的に示し、「はっきり話し、しっかり説明する」しかなかった。そうして有権者がキリギリスにならず、アリのように冬でも豊かにすごせる道筋を、できるだけ具体的に示すしかなかった。

 だが、それをしなかったから、どんなにナンセンスであろうと力強く将来像を語った高市旋風に飲まれてしまった。中道改革連合について別の言い方をすれば、有権者は病気の根本治療をして未来の幸福を得たいのに、モルヒネの効用ばかりを説いてしまった。それでは勝てるはずがない。

 

「野党の議員になって何の意味があるんですか?」

 数年前に私が或る女性から言われたこの言葉が未だに忘れられない。これは、「もし自分が国会議員になるとしたら、何党から出馬するか?」という他愛もない会話の一幕である。私が「少なくとも自民党では無い、野党だろうなあ」と答えると、彼女はこのように返したのだ。

彼女にとって野党議員は「批判ばかりで何もしないのだから、存在する意義がない」と映っていた。

 この女性は、政治に全く関心がなく、人生で一度も投票所に行ったことがない―、という人間ではない。所謂知的産業に従事し、それなりの高等教育(四年制大学)を受け、様々な経験や知見が豊富なはずのいち民間人であり、かつ、それなりの人生経験を踏んだアラフォーの年齢であった。

 

「高市さんは、他党を決して批判しない」―。こんな文言が、選挙期間中にSNSで自民党支持の理由として乱舞していた。あらゆる分野において批判することは悪だと思い切っている。批判ではなく対案を出そう―。聞き知ったフレーズだが、誰かを批判する文脈の中にはその反対が含意されているわけだから、批判自体が対案である―、という概念がない。

 

「いかに正義を貫くか」ではなく、「いかに上手く、賢く振舞って生きていくか」が優先されるし、それこそがクレバーで合理的な選択となった。

 確かにそれはある種の生活や保身の知恵だが、それを何十年も続けると「批判自体に意味がない」という思想に延長されていく。

 

 このような感覚の持ち主からすれば、高市総理は「野党に攻撃されて可哀そうな被害者」に映る。「高市さんがいじめられて可哀そうだよ」―。そういう理屈で高市総理を具体的な検証なく支持する。所謂裏金問題や宗教団体との癒着といった疑惑は評価基準には入らない。ある人物(中年男性)はこう言った。

「仲間をかばうことは、誰だってあるじゃない。高市さんだけが悪いわけじゃないでしょ」

 ではなぜ同じ自民党の石破総理ではそういった擁護や憐憫の感情が湧かなかったのか。曰く「石破さんは食べ方が汚い」から。石破前総理のおにぎりの食べ方が汚くて許せないのだという。

 

 還暦を過ぎた良い歳をした常識人のはずの、自称「右でも左でもない普通の日本人」のそんな投稿に、山のようなイイネが付く。「食べ方が汚い政治家は、育ちが悪いのであり、そんな人物が唱える政策は信用できない」という理屈を展開する。

 まるで幼児のような感覚で政治家への評価を決めているのだが、これは特別でも例外でもなく、もはや日本人有権者のスタンダードに近い感覚であると考えた方が良い。

 

 政策はどうでもよい。そもそも政策自体が良く分かっていない。政策を吟味する教育や経験も圧倒的に不足している。なぜなら批判そのものが禁忌であり悪であるとする環境であれば、政策を比較検討する議論など成立しないからである。

 前提的な政治的知識が余りにも足りない。東京大学を卒業したのに、参議院に解散があると思い込んでいる人物を私は知っている。アラスカがアメリカの州ではなく独立国だ、と思い込んでいる早稲田卒の女性にも会ったことがある。「政治経済」等の授業を取らなくても、他の科目で代替すれば合格には関係が無いからだ。この国では学歴と教養がまったく比例していない。単に雰囲気、空気、イメージの産物で政治家の善か悪かを決めるし、それ以外の尺度を持たないのだ(まあ、そこまで言っては気の毒だから、そういった傾向がある、と修正しておく)。

 

 イギリスのメディアが高市人気を評して、「選挙に勝つ方法・明確に話し、何も語らない」と概観したのはまさに言い得て妙である。もはや日本の有権者の多くは、政策ではなく、イメージ(その由来はネット動画や画像など)で、その政治家を信用できるかどうかを決めている。いや、そもそもかなり前からそうだったのかもしれない。

 やおら攻守を逆転すると、かつての麻生太郎内閣不支持の圧倒的な理由は「漢字が読めない」から。そう放言してさも政治に関心があるように装っていた当該人物は、「法令遵守」を「そんしゅ」と読んでいたのだから話にならない。すでに「とっくの昔に」溶けていた日本人有権者の政治的感覚が、今次衆院選挙でようやく顕在化しただけなのかもしれない。

 

 正しいことを主張しさえすれば、賢明な有権者はそれを良心で判断し、自党を支持してくれるはずである―。そう信じた、その発想そのものが今次衆院選挙における中道改革連合の破滅的な敗北の原因ではないか。

 つまり有権者の政治的意識を相当高く見積もっていたのである。人間は時として正しさになびかない。正しいことに必ずしもついて行かない。人類が押しなべて「正義」の方向を選択するのであれば、なぜナチ党は選挙を経て政権を握ったのであろうか。そういった人類の「愚鈍」「愚昧」な部分に目を向けず、半ば無視する格好で、「正義を貫けば支持される」と思い込んだ、良くいえば性善説的な、悪くいえばユートピア的思想こそが、中道改革連合大失敗の大根幹であろう。

 そも中道、というネーミングセンスからして際どい。中道という言葉自体には、仏教における八正道を完遂し、解脱に至るまでの過程そのものを指す意味と、所謂政治的な右翼と左翼の中間、という二つの意味が含意されているのだが、一般的にイメージされるのは圧倒的に後者であろう。

 

 しかし、現在ほとんどの日本人有権者は、政治的中道のなんたるか以前に、右翼とは何か、左翼とは何か、ということを知らない。日常的には便宜的に右翼を「保守」、左翼を「リベラル」などと言い換えて使っているが、それにしても保守とかリベラルとかの言葉の意味さえ全く知らない。

 

 私は若いころ、自分の名刺に「保守本流」と印刷していた。それは少しでも名刺にインパクトを持たせようという私なりの工夫であった。この名刺を受け取った或る会社経営者の中年男性は、顔をキョトンとさせ、「保守?保守って、古谷さんは何の配管をメンテナンスしてるんですか?」と聞き返されたことがある。

 保守という言葉を理解するためには、最低限度の政治的素養が必要だが、それがゼロである。

 

右と左があっての中間なのだが、それが意味不明だから中道も当然意味不明だ。まだしも「立憲民主党」「公明党」のままの方が良かったであろう。しかし、彼ら中道の執行部がそれを悔やんでもすでに遅い。

 こういった市井の有権者の皮膚感覚を中道改革連合は想像することが出来ず、「中道」とはバランスの取れた政治姿勢である、という旨を彼らは遮二無二訴え続けた。それ自体がとっくに理解不能になっていることを、彼らこそが理解できなかったのである。

 正義・正論さえ訴えていれば有権者の良心は呼び覚まされる、という中道改革連合のある種の目論見は破滅した。いうまでも無く、そもそも良心以前にそれを共有する政治的な前提が溶けてしまって存在していないからだ。

 

軍事独裁政権や権威的政権を市民の力で打倒し、下からの民主主義的傾向の発露といった形で成就させた国々―それは韓国・台湾・フィリピンである―の若者や学生などと交流する経験を有した。

 彼らは濃淡はあれど、「自らの手で独裁政権を転覆させ、民主化に成功した」という経験と知見があるので、どんな社会の階層であっても、またどんな年齢であっても、性差の別なく「政治に無関心で無知」という人種は馬鹿にされる傾向を有している。無関心は罪であり、無知は恥であると考えている。政治的批判は社会をより良くするための良薬であり、それ自体が悪だという発想は(よほどの利害関係がない限り)存在していない。

 どんな有権者も、最低限度のファクトを抑え、政権党に対する政策的な意見を有し、例えそれが選挙権を持たない中学生などであっても、政治的に正しいことをすることが「善」であるという前提のものとで生活している。

 

日本人有権者が最も突出して幼稚である。政策を判断する前提知識を有さず、イメージと雰囲気(例えばおにぎりの食べ方)で政治家を評価するのが、おおむね「ふつう」であり、それ自体が異常で歪んでいると考えない社会は、私の知る限り少なくとも中国と北朝鮮以外等の東アジアでは日本だけである。

 良い悪いは度外視して、このような現下の有権者の感覚を無視し、彼らの政治的意識を過分に高く評価した結果が、中道改革連合の破滅を招いたのである。このような事実は、恐らく彼らにとって認めがたい現実であろうが、それをまず是認することが、野党再建にとってのささやかな一里塚になるのではないか。

 

 

昨今の風潮は小泉さんが総理大臣やっていた頃から始まってたけど最近はSNSが拍車をかけている。
とある大学で学生に政党名を伏せて各党の政策集の要約や公約を読ませて最も支持を集めたのは日本共産党だったという結果も過去にはあった。それだけ有権者はイメージで投票先を決める。各党の公約を読み込んで比較する人などはほぼ皆無。
マーケティングの手法も取り入れうまいことやった自民党に資金力でも劣る野党がこれからも勝つことはないでしょう。

 

自分も同じようなことを考えていました。
日本では性教育と同じか、それ以上に政治の話がタブー視されているので、投票やイデオロギーを学ぶ機会がない。親もふんわりだから子供に教えられない。
どの党にも良し悪しがあり濃淡があるのだが、それらをもう少し重視していたら、選挙をする毎に多くの意見が同じ方向に偏ることは少なくなると思うのだが、近年は都合よく提示された争点だけが争点だと思いこんで投票している人達が多いから、選挙が終わってからしばらくすると、こんな筈じゃなかったなんて意見が出てくる。もっとそれぞれの発言を知るべきだ。

 

日本がどのように舵取りされるか肌で感じれるだろう。
合うなと思う人も居れば、嫌だなと思う人も居るかも
しれない。
いづれにしても、次の選挙まで、道を変えられない。
4年間は自民党に任せたという選択になった。
第二次世界大戦に突入して、敗戦するまで約5年間。
同じ道を歩み続けた場合、十分な長さだ。
4年後の日本がどうなっているか楽しみにしたい。

 

悲しいかな、もう今の日本では古谷さんの言うように、まともな政策論争はほとんど無理な時代になっている感があります。
 各党が掲げる政策の違いを新聞などの公約表で見ても全然理解できない、そもそも何を書いているのか全然理解できない、だから相対的に人気投票の要素が強くなるのだと思います

 

国会中継が好きでよく見ていた頃、立憲が自民党に質問し、批判もするが、必ず、その後でわが党なら、こういう方法を取ると明確に対案を出していた、いつも頼もしく感じていたが、立憲を批判する人は、国会中継をじっくり切り取りでなく見たことがあるのか?
立憲や野党が大幅に数を減らした今。自民党をチェックする機能が失われることが、本当に不安だ。 
他に野党の機能として、格差の問題、弱者の声を聞き国会に届ける機能も失われる。
何しろ自民党の対策は中間層の手取りを増やす、金持ちの支持者のもの、アンダークラスが自民党を支持できるはずもない。

 

自民党の裏金、統一教会からの資金提供、日曜登録者数からの逃避、高市氏の問題発言の多さなどに目を瞑り、盲目的に高市自民党を支援する姿勢も異常に見受けられる。正しいことが通用しないという論者の意見にも一理ある。しかし、中道改革連合の比例名簿も旧公明党を優遇した合理性より、自己への甘さや公平性、自らを厳しく律することができない自己都合重視の姿勢が見える。旧公明党が小選挙区に重複立候補して戦う姿勢が見えなければ信頼感が得られない。

 

日本の有権者が「合っていた」ことはこの衰退期の30年ほどの間に一度もない。逆に言えば、「衰退していたのだから間違っていた」としか言いようがない。そして、今度も派手に間違えたというだけだ。直近の10年ちょっと目いっぱいやって派手に失敗したアベノミクスなる愚策を、なぜ失敗したかの考察もなく(そもそも失敗したことすら認識せず)、もっと派手にやりたいというだけの人物に熱狂して全てを委ねてしまった。それは、この記事にあるように日本人が近視眼的で知的水準が低いからだ。
そして、知的水準が低いので、自分たちより賢そうなヤツは選ばない。単に気に入らないからだ。経済政策ではチームみらいが最も合理性が高そうだが、大多数の有権者はそんなことはどうでもいい。減税して威勢よくカネをばら撒いてくれそうで、かつ自分たち自身は何も変わらなくてよさそうな政治を熱狂的に選んだ。ロクでもない話だ

 

中道が唱えた消費税減税財源を100兆円ファンドを作って、その運用利益を財源にととなえたことがこりゃダメだと思いました。
100兆円で毎年5兆円の運用利益を出すのだから、運用利回りは年5%になります。 また、財源の100兆円の金利が2%と仮にするとそれだけで年間の利回りは7%になります。 しかも、ファンドの運用コストを入れれば8%,9%とかなりの高利回りを出す必要があります。 
今、個人の利回りが4%が適切と言われてますが、その倍の利回りを出す必要があります。 それって、無理ゲーな話しと思いました。

 

>消費税減税財源を100兆円ファンドを作って

 

これを嫌気してチームみらいに投票した人はいるだろうが、中道よりも自民党を選ぶ理由なんかないはずだが・・・

 

政治、経済、財政についてはどうでもいい(というより真剣には考えたくない)人たちが、円安物価高で不安になった時に

強気ワード連発の基地外ババアに支配される方を選ぶということかね