今の日本の状況をおばあちゃんが生きていたらなんて言うかな、
と思ったら、
死ぬ前におばあちゃんが言ったことを思い出した。
「社会が大きく変化するときは必ず犠牲が出るわ。
きっとこれから少しずつ良くなっていくはずよ。」
戦争中を生き抜いた女の人の言葉。
おばあちゃんはあまり楽観的な事を言う人ではなかったけれど、
自分がいなくなった後のこの世界に少しずつ良くなって欲しい、
と、願いも込めて、そう言ったのだと思う。
おばあちゃんは「社会」のために生きた人だった。
働く母の会の仲間と、
女性が働きながら子育てできる環境を作ってきた。
過労で体を壊したりしながらも、
家庭を持ちながら、世の中を鋭い目で見て、声をあげてきた。
そして少しずつ、世の中を動かして来た。
おばあちゃんがいなくなった今、
この世の中を少しずつ良くして行くのは、
生きている私たちの役目。
今、私にできる事はなんだろう。
「何になってもいい。一流の人間になりなさい。」
一流の人間って何よ!
二流でも三流でもみんな一生懸命生きてるんだよ!
と、反抗したこともあったけれど、
今になってわかる。
一流の意味って、そんなに薄っぺらいものじゃない。
大学に入って、新しい生活の中、
勉強や遊びが忙しすぎて、
本を読まず、新聞も読まず、物を深く考えず、
自分まわりの小さな世界でいっぱいいっぱいになっていた私を、
沙羅はもうダメになった。と悲しげに突き放した。
おばあちゃん
おばあちゃん
今になってその偉大さを知る。
きのう、瀬戸内寂聴さんのこんな言葉を見つけました。
「大好きな人が死んだのに悲しくないと悩む人がいますが、
当初は悲しみが大きすぎて死んだと思えないことがあるのです。
その人は、あなたの中に生きているのですから、安心して下さい。」
うん。やっぱり、
おばあちゃんは私の中に生きているんだ。