数日前に、義理母が亡くなったのですが、
3番目の義理弟が、Facebookにポストしていました。
『7年間アルツハイマーと戦ってよくがんばった。
4人の息子、6人の孫、3人のひ孫たちは、寂しく思うことでしょう。
後悔することは、いつも母の話を最後まで聞かずに、
話を遮っていたこと。
自分の話ばかりで、全く彼女を思いやらなかったこと。
時間が戻るなら、もっと話がしたかった。
みんなに言いたいことは、
自分の親、兄弟に連絡をとって話をすべき。
10分でもいいから、電話をしたほうがいい。』
と。
どの口がそれをいう!
義理母はアルツハイマー型の認知症と言われたけれど、
昔のことはよく覚えてたし、
去年まで普通に自分で歩いてたし、
少なくとも、数週間前までは、
よく顔を合わせていた長男と、うちの旦那の認識はできていた。
(たまにお父さん、お兄さん、友達とか呼んでる時もあったけど。)
アルツハイマーで誤魔化すんじゃないよ。
全然元気に動いてたし、記憶もそこそこあったよ。
孫たちなんて会いに行ったこともなかったし、
四男なんて、亡くなったとメッセージを残しても尚、
コールバックしてきたのが24時間以上経ってから。
遠くにいる兄弟のために、うちの旦那がオンラインで連絡取れるようにと、
アレクサをみんなに送ったのに、
3人とも電源すら入れてない。
(長男は直接会いに行ってたからいいとして)
もうずっとずっと口を酸っぱくして、
電話しろって言い続けてきたのに、
全然連絡しなかった弟たち。
何が10分でもいいから電話した方がいい、だ。
ボタンひとつで通話ができるように、
こちらがお膳立てしてあげても、
その1プッシュすら惜しんでたくせに。
お母さんの話を遮って邪険に扱っていたのは、
上3人の息子全員。
これは今で言ったら、モラハラと言われそうなレベル。
昭和のお父さんなら、普通にありそうだけど、
アメリカでは、ちょっとないな、と思う態度です。
四男だけは、義理母に優しかったけど、
結局表面だけだったんだなーと思う。
義理父が亡くなった時に、
ちょうど離婚をした四男は、
家に一人になってしまう義理母が困るようなら、
一緒に住んでもいいよ、と提案してくれたんです。
兄弟+義理姉は、いまだにそのオファーに感謝していたけれど、
住んでるところは西海岸と東海岸。
絶対に仕事辞めて実家になんて戻ってこないよ、
と私だけ斜に構えて見てました。
案の定、いやそれ以下。
顔を見にも来なかった。
そもそも、10数年前に義理父が亡くなった時も、
最後に看取りにも来ず、
お葬式にすら来なかった。
(家のガスがどうとかって、くだらない言い訳だった気がする。)
今回、義理母のお葬式にも来ないんじゃないだろうか。
これは、旦那の家族に限らずです。
うちの父も同じ。
祖母は自宅で介護していたので、
父は最後まできっちり看取ることができて、
それには後悔はないでしょう。
でも、次の日家族で昔話をしているときに、
「お母さん(私の母で、父の嫁)には昔からいろいろ迷惑をかけた。
お母さんが死んだ時には、感謝するよ。」
と言ったんです。
ブチギレましたね。
あんたがお母さんに迷惑かけっぱなしだったのは知ってるよ。
お母さんはまだ生きていて、いま目の前にいるんだから、
死んだ時感謝するんじゃなくて、
いますぐ感謝しろ、いまここで感謝しろ!
と怒鳴りました。
バカなのか?
綺麗事をいうな。
いくら立派なお葬式をしたところで、
誰が喜ぶよ。
親に虐待された、と長年大騒ぎしていた知り合いも同じ。
お父さんが急な事故で亡くなり、
家族からは、やんわりお葬式の参加を拒否されていたのに、
空気も読まずに日本に帰ってみれば、
お葬式もすっかり終わっていて、
よく状況を把握してみると、
虐待は気のせいだったのかもしれない、
むしろ虐待していたのは自分だったと気がついた、
ただのかまってちゃん。
貰えないと思っていたお金が、若干相続できると知り、
急に態度を変えた。
「生きている間に、父と話ができなかったのが心残り。」と。
全面拒否していたのは自分だ。
脳卒中で手術が必要になり、
日本領事館経由で連絡を受けて、
急遽アメリカまで飛んできてくれた両親を罵倒して拒否したのも、自分。
亡くなってから同情を引くような言い方は感じ悪い。
みんながみんな、家族関係がいいわけではないだろうし、
事情もそれぞれだろうけど、
少なくとも私の周りの人間は、
最後に自分の都合で帳尻を合わせようとしている。
会いに行ったり、連絡を取ったりするつもりなんて、
さらさらなかったんだから、
せめて黙ってろ。
昨日、義理母が使っていた投資会社に連絡したところ、
財産分与に4、5ヶ月掛かるとのこと。
時間がかかってもいいので、
今後きっぱり彼らと縁が切れるように、
あと腐れないよう、分割して欲しいです。