会いたければ、今すぐに | 〜 Que Sera、Sara 〜

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楽に生きるってどういうこと?

2年前の今日、会社の元部長が亡くなりました。

 

彼は数年前に転職をしたのですが、

私は年に数回、季節の折々に連絡をしていて、

パンデミックの前にも、

ちょっと一杯飲んで帰ろうよ、

と声を掛けていたくらい、

仲良くしていました。

 

11月の第4木曜日は、サンクスギビングという、

アメリカの感謝祭があるのですが、

その時にも、メールをしたばかり。

 

この時は、またクリスマスか新年に細かい話を聞けばいいか、

と思い、短いメッセージで済ませてしまいました。

 

それから2週間も経たずに、訃報が舞い込んできました。

 

てっきり70代も後半だと思っていたら、まだギリギリ60代。

予想外に若くて、びっくりしました。

 

できればもう一度会いたかったな、と思っています。

 

昨年は、100歳だった祖母が亡くなりました。

 

当時はまだPCRが必要だったりして、両親は年明けに帰ってきて欲しそうでしたが、

祖母が年越せるかわからなかったので、秋に帰ったんですよね。

(その後タイミングよく、全規制も解除になった。)

 

帰ってよかった。

 

私が帰国した時、祖母はまだ元気で、

ボケてはいるけど、しゃべれるし、トイレも行けるし、

しばらく大丈夫だな、と思った矢先、

3日後から寝たきりになり、

あれよあれよと言う間に、

絵に描いたような老衰で亡くなりました。

 

パンデミック中は、日本に帰国できなかったので、

最後に話ができて、本当によかった。

 

祖母が亡くなるとは思わなかったので、

大学時代の友達に、

お茶をしないか連絡したんです。

 

10年ほど会ってなかったんですが、

「平日は仕事があるから会えない。」と断られてしまいました。

 

週末でもいいんだけど、、、

 

「還暦のお祝いはみんなでしたいね。」との返事。

 

今は会いたくないけど、10年後なら会いたいの?

なぜだ。

 

それから1年が経ち、先日彼女からメッセージが届いたのですが、

文の締めくくりに、

 

「おばあちゃんになったら、コタツみかんで、

どうでも良いことをお喋りしましょう!」

 

って書いてあった。

 

いやいや、今会いたくないのに、10年後、20年後に話すことなんてないよ。

 

遠回しにお断りするための、彼女なりの優しさだろうと解釈して、

スルーすることにしました。

 

私たちの同級生で、30そこそこで亡くなった人がいます。

 

有望なピアニストだったんですけど、病気だった様子。

 

亡くなったことは、何かのきっかけで、ネット上で知りました。

 

私はアメリカに来てしまったので、

彼のリサイタルは一度も行ったことはありませんでした。

 

学生の頃は、何度か聴いたことはあるんですけどね。

 

彼が亡くなって、17回忌もとっくに過ぎたころ、

上記の友人は、

「彼のCDとか持ってない?」

と言い出すわけです。

 

彼の演奏は1度も聴いたことがないと、

何度も何度も、学生時代を思い出を語る友人。

 

20年前に亡くなった人を懐かしく語るのもいいけど、

今現役で活躍している、同級生のリサイタルに足を運んであげては?

 

今に興味がない人はいるものです。

 

そういう私も、今に集中できていないことはよくあります。

人のことは言えません。

 

でも、私の勝手な予測では、

戦後生まれの人は、

75歳を超えるか超えないか、が鍵になると思っています。

 

人生100年時代だと言われようが、

平均年齢が80以上と言われようが、

ここからは75がボーダーではないかと。

 

私の友人のお母さんも、70代で痴呆です。

 

体が動くからといって、一緒にお茶が飲めるとは限りません。

 

過去のことを語ろうが、未来のことを語ろうが、

タイミングを逃せば、会いたくても会えない人も出てきます。

 

いつか会おうね、は約束でも何でもありません。

 

会いたい人がいるのなら、

今のうちです。

 

次の瞬間、何が起こるかは誰にも予測できないのですから。