前回の続きから。


 

 

太りたい母と痩せたい娘…どちらも

その願望は変わらないまま、今を生きている。

 

私はこれまでの人生、

一度も「太りたい」と望んだ事はない。

逆に母は彼女の人生、

「痩せたい」と本気で望んだ事はないはず。

 

もし常に私の方が母より痩せていたら…

もし母が昔からずっと大食いで太っていたら…

ダイエットを繰返して失敗するタイプだったら…

私は「摂食障害」にならなかったのだろうか。

答えは「NO」

 

母が太っていたとしても、私は同じように

「違和感」や「息苦しさ」を感じたはず

「摂食障害」に苦しみ、向き合う事になったと思う。


なぜなら

いつだって求めていたのは母の心…つまり「内面」

痩せた「外見」はただ目的達成への材料に過ぎない。


そして「痩せている事」=私の存在価値

自分をアピールする最大手段であるから。


自己否定の思考…

自分の価値は太るに値しない。

正しい人・立派な人のみ「太る事」が許される。

私はそうでない側の人間だから「痩せている」べき。

「痩せたい」のではなく「太ってはいけない」のだ。

「かまってちゃん」の思考…

「痩せたい」のではなく「痩せた事」に気付いて欲しい。

なぜ私がこんなに「痩せている」のか…考えて欲しい。

「痩せている」のは、苦しいのに頑張っている証だびっくりマーク


いつの間にか、こんな残念な気持ちばかり…。


摂食障害になる前の健全だった頃

お互いの体重/体型を指摘し合う事なんてなかった。

むしろスタイルの良い母は昔から私の自慢だった。

私も食べるわりには、大して太らず贅沢な体質。

自分の体型に不満など全くなかったのに…。


食べたい物を思いっきり食べる・楽しく食べる

それを若い頃にしなかった事、心底悔やんでいる。