連日報道されている。3歳長女餓死事件。

 

想像するだけで苦しい。

 

ママに助けを求めながら消えた命…。

 

どれだけ空腹だったことだろう。

喉もカラカラで苦しかっただろう。

どれだけ暑かっただろう。

 

8日分の排泄物がオムツにたまったら、重くて歩けなかっただろうな…。

オムツかぶれの痒さや痛さはどれほどだろう。

何万回「ママ」と呼んだことだろう…。

 

空腹

孤独

絶望

 

苦しい。

想像するだけで目をそむけたくなる。

残酷すぎる事件。

 

 

稀華ちゃんの苦しみと絶望を想像するたびに、体がぶるると震えます。

 

怖い。

 

でも、わたしは

この母親だけを責める気にはなれません。

 

この母親も「絶望」のなかで育児をしていたのだろうと思えてならないのです。

 

この母親には

稀華ちゃんを大事に思う日があった。

 

でも、維持できなかった。

 

それは

ママ「だけ」が悪いの?

 

妊娠し、

つわりに耐え

陣痛(もしくは帝王切開)を乗り越え、

稀華(のあ)という美しい名前を名づけた日が間違いなくあった。

 

粉ミルクや母乳を与え

食事を与え、安全に気を配り、

見守った日があったのだから(毎日ではなかったかもれないけれど)。

 

だって、

そうじゃなかったら、稀華ちゃんがこんな顔をするわけない。

 

 

 

ママの安全や安心、

つまり、

ママの衣食住が足りていない状態で

24時間命を守り続けるのは容易ではない。

 

ママを支える人がいないと難しい。

 

24歳の女性。

恋だってしたいだろう。

ましてや、シングル。

 

「好きな人に会いに行きたい」と言ったとき、

「預かるよ」「たまにはゆっくりしておいで」そう言ってくれる人がいるだろうか。

 

「お母さんなのに恋愛にうつつを抜かして」と叱られるのが想像つく。

 

 

コロナで収入が減ったと報道されていました。

元夫は養育費を払っていたのかな。

おじいちゃんやおばあちゃんは?

お友だちは相談を聞いていたのかな…。

 

この容疑者が

「助けて!」と言える人はいたのだろうか。

 

いのちを24時間見守るのは誰でも「できて当たり前」じゃない。

この容疑者を支える人はいたのだろうか。

 

わが子に関心を向けられなくなるほど、

育児を完全放棄するほど重荷に感じるには、

どんな経緯があったのか。

 

ソファーで閉じ込めるほど、

証拠隠滅するほど、

放置したくなるほど、

そんな心境に陥るまでに、

この母親にどれほどの「絶望」があったのだろう。

 

そう思うと、

この母「だけ」を責める気にはなれない。

いろんなことの「積み重ね」で起きた事件。

 

母親「だけ」が最後の引き金を引いてしまった事件。

 

 

稀華ちゃんの写真を見ると、あまりの可愛さにますます胸が痛む。

本当にかわいい女の子。

 

こういう事件が起きたとき、

「ひどね」

「信じられないね」

「こんなことができるなんて人でなし」

 

世間の人は言います。

でもその人たちの多くは、

 

「育児中にサポートしてくれる人がいる」

「衣食住を満たしてくれる人がいる」

それが当たり前の人たち。

 

この母親がここまで追い込まれた経緯は分からないけれど、

 

「社会から守られていなかった人」

「関心を持ってくれる人がいなかった人」…

そうだろうとは想像がつく。

 

もしかしたらこのブログを読んで

「なにをふざけたことを書いてるんだ」

そう思う人がいるかもしれない。

 

でもわたしは、母親だけを責めることはできません。

この母親は、加害者であり被害者だと思います。

 

稀華ちゃんの絶望とともに、この容疑者の絶望を想像すると苦しくなる。

 

社会から虐待をなくすために必要なのは、

「ちょっとしたおせっかい」

 

育児中のママに、

孤独を感じさせないように。

絶望を感じさせないように。

 

あなたに関心を持っているよと伝え続けたい。

 

できることから始めたい。

 

辛いときに「つらい」を言える社会となりますように。

そこまで追い込まれる前に、ママを守ってくれる人に出会えますように。

 

お互いに関心を持ち合う、優しい社会となりますようにと願います。

 

 

先日のYahoo!ニュース記事でも思いを記事にしていただきました。

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