私は、長女を大阪府守口市の岩津助産院で出産しました。
ここ岩津助産院は、私にとってかけがえのない第二のふるさと。
長女を出産した20年前当時は、
出産が多く、5部屋ある入院室はいつも満室。
1人30分の妊婦健診は長い待ち時間。
まかないさんがつくるおいしい食事。
大部屋に集う、産後のママたち。
助産院は院長の自宅で、
さらに住み込みの助産師もいて、
いつも赤ちゃんの泣き声が聞こえる空間。
2代目院長の山本先生はコテコテの関西弁で、
いつもわたしの不安を吹き飛ばしてくれた。
娘が転んで唇から出血したときは、
「口んなかはな、血ぃ出るだけでたいしたケガやないんやわ」とケラケラ。
夫の転勤で、次女を名古屋で出産したときは、
「ようがんばったな」と大阪土産をもって名古屋まで来てくれた。
10年前に研修で大阪に行ったときには、
「ほな泊ってけばええやん」と入院室に泊まらせてくれた。
USJの帰りに立ち寄ったときは、
思春期娘に「お母さんのお産はな…」と話しながら、上寿司を用意してくれていた。
20年前に出産を助けてもらっただけではなく、その後もずっと優しくしてくれた。
私にとって、大阪のお母さん。
そんな大好きな岩津助産院が閉院するそうです。
ぽっかりと心に穴が開いた感覚。
「あのな、直井さんが知っているころの助産院は活気づいててな。あのころはほんま働き盛りやったなあ。けどな、今はあの頃とちゃうねん。私もおばあちゃんになってん。今はひっそりしてんねん」と…。
私にとって、
とっても偉大な存在で、
心の安心基地で、
大好きな山本先生。
お話をしていて驚いたのは、
長女を出産したころの山本先生は今のわたしと同年齢だということ。
「そうか…。今の私は、あのころの山本先生と同じ年齢なんだ…」と思ったら、「ちゃんとしなきゃ」と改めて背筋が伸びます。
20年以上たってもまぶたに浮かぶ助産院の光景。
私が母になった場所。
あの場所で、もう命が誕生しなくなることがさみしい。
思い出の中の岩津助産院は、ずっとキラキラしたままです。