『髪型を変えるように 少しだけ人生を変えたい』





今回の映画は『バーバー』。
原題は
『THE MAN WHO WASNT THERE』


Stellaにとって、初のコーエン兄弟作品。
カンヌ映画祭で最優秀監督賞を獲った作品で、ビリー・ボブ・ソーントン演じるエドの理髪師としての平凡な日常と、それに逆らうような、秘めた熱情とのズレを描いた作品です。





主人公のエドは、結婚して義理の弟の理髪店で働き、これといって変化の無い平凡な生活を送っていた。

特に不満もなく、流れるような日常に身を任せる毎日だったが、ある日客として訪れたトリヴァーの起業話を聞いて、その心情に小さな変化が起こる。

トリヴァーの投資者となるべくエドは、妻ドリスと不倫関係にある経営者デイブを脅迫し資金を得ようとするが、この出来事をきっかけにエドの平凡な生活は、少しずつ変化を遂げ始める事になる――。








こういった退廃的な映画…
総称して『フィルム・ノワール』と言うらしいのですが、ストーリー、人物の心情変化、音楽全てにおいてStellaのとても好きなタイプの映画です。

カラーフィルムで撮ったものをモノクロに変換していて、それがストーリーの時代背景や雰囲気に合っています。



劇中ではベートーベンのピアノソナタの楽曲が多く使われており、悲しげながらもなにか暖かさを感じる曲は、場面毎の人物の心情によく合っていて、まさにぴったりという感じ。

とくに『月光』や『悲愴』などは、優しいメロディなのに寂しくて、耳に入ってくる度に心地よかったです。









まずこの話の主人公となるエドですが、この男は一見無口であまり情緒豊かでなく、人生に波を起こさず生きている人間に見えます。

けれど実はとても激情型で激しい人間性を秘めていて、誰よりも執着心が強い人間なのです。

しかしそれを表に出さず、ただ流れに身を任せて、毎日を淡々と過ごす人生。



よくある普通の生活ですが、これが問題というか…、実はとても激しい性格なのに、その感情を行動に表さず生きてきてしまった為に、特に彼自身が望んで得てきた生活ではない事が失敗なのです。


なので通常ならある程度幸せな筈の生活であっても、彼にとってはあまり意味の無いもので、退屈にすぎない。

それ故に生活自体にも執着がないので、いざ壊そうと思ったら簡単に壊せてしまうのです。





それが原因で、彼はやがてこの穏やかな生活を自らで崩していく事になるのですが…、ここに、エドが人として欠けている事の恐さを感じました。

人間なら普通に持っている欲求や渇望ですが、それをある程度生かして叶えようとすることは、人として生きる上で大切な事なのではないかと思いました。




そしてそんな不安定な男エドを、ビリー・ボブ・ソーントンは微妙な表情の違いで見事に表現していました。

モノクロで余計な情報が入ってこない分、その表情から伝わる虚無やジレンマはとても素晴らしかったです。



そしてこの渋くて精悍な顔付きといい、きっと彼は若い頃はさぞモテたのでしょうね。。



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またこの物語にはもう一つの恐さがあって、エドを通して起こる事件によって人生が展開していくストーリーなのですが、最期まで、"真実"というものが一つも意味を為さないのです。


そしてその明るみに出ない真実によって、エド本人ではなく周りの人間が崩壊していく事に異様な恐さがあります。






誤ってデイブを殺してしまったエドは逃げも隠れもしないけど、代わりにそれを背負う事になってしまう妻ドリス。


エドはこれも表に出さないけど、興味が無いようで実はドリスの事をそれなりに想っていたんでしょうね。

執着が無いように見えても、どこかでドリスとデイブの関係に暗い感情を抱えていたのでしょう。

だから壊してしまっても構わない、という思いがあったのかもしれません。




自らのまいた種でそれを壊しておきながら、ドリスの容疑を晴らすために奔走しようとする行動の矛盾。

義弟の理髪店を抵当にお金を借りて有能な弁護士を雇ったりするけど、実際自分でもよく行動の意味が解ってなかったのではないかと思う。



ただ時々エドがドリスとの出逢いや生活を回想するシーンには、本来エドの持つ、些細な温かみのような、または諦めのようなものを感じて少しせつなくなりました。

夫婦の事は夫婦にしか解らないと言うけど、この二人はもう少し歩み寄る事が必要だったのかもしれません。









けどその努力も叶わず、ドリスの獄中自殺によって、事件は真実に触れる事無く曖昧なまま終息してしまいます。


この場面においては特に、弁護士という仕事自体にも嫌な恐さを感じてしまいました。

『物事をややこしくして、元に戻すのに金を取る奴ら』と最初の方で言われているけど、実に上手い表現だと思いました。



自分の成績の為、あるいは被告人の弁護の為とは言え、有利さを得ようとして、時に物事の真相を変えてしまいかねないのです。

それ故、エドが『自分がデイブを殺した』と言ってみても、信憑性の無さからリーデンシュナイダーは耳を傾けようとしなかったりします。



どうやって意見を覆し、法を縫う方法を考えているという点では、なにか犯罪に繋がるような、危うさを感じました。


勿論弁護の仕事全てがそうだという事ではありませんが、実際に真実を曲げてしまう審議が行われる事があるなら、いつかそれが無くなるような時が来ればいいなぁと心から思いました。














そうしてエドの行動がデイブやドリス、義弟の人生を巻き込んでいく中、事態は思いもよらぬ所からエド自身に降りかかってきます。


デイブを脅迫して得た金で投資した後行方不明になっていたトリヴァーが、暴行を受けた遺体となって見つかったのです。

一緒に見つかった契約書などからエドに容疑が掛かり、次第にそれまでのデイブやドリスの一件が洗い直され始めます。




結局トリヴァーを殺したのはエドではないのですが、それすらも真実は歪められて、とうとうエドは、無実の罪から断罪の椅子に座る事になるのです。




自分のしてきた事はなんだったのか…

聴衆に見守られそんな自分の人生を振り返りながら、エドは罪を受けてその人生を終える事になりました。


人生で初めて自分の意思で起こした行動が逃れられない破滅を呼ぶことになるという、とても滑稽で皮肉った最期でしたね。









このように、行き着く場所は同じだったとはいえ、ものすごいややこしく遠回りをしたエドの人生の映画でした。

とにかく、最期まで嘘だらけ。




Stellaは結果が同じであれ、人として、真実が意味を持つ人生がいいなぁと思います。

その為には、エドの様に自分を偽っちゃ駄目なんだと思う。


自分の人生を傍観するのではなく、思った事を叶えるために、ちゃんと人間らしく"生きて"いく事が大切。



そんな事を感じた、感慨深い映画でした。
人間描写がすごいですね。

この記事を読んで何か感じた人に、是非観てほしい映画だと思います。





そしてStellaは映画に登場する女の子を、『やばいこの人本当にスカーレット・ヨハンソンそっくりだなぁ~。』なんて思いながら観てたら、スカーレット・ヨハンソン本人でした。(笑)

たまにこういう事あるんです。。苦笑


『真珠の耳飾りの少女』で観て以来結構好きな女優さんなので、是非彼女の演技も見てみて下さい。




それではまた


ばーいパー




お久しぶりです。
色々な状態で、長いことblogを書く事が出来ませんでした。
見に来てくれてた人には申し訳ないです。

その間にも、いくつか素晴らしい作品は観ました。
これからは、続く限りで続けていけたらと思います。

よろしくお願いします。













今回の映画は

『さらば、わが愛/覇王別姫』



最近、カンヌ映画祭で北野監督の『アウトレイジ』が公開され賛否両論を呼んでるけど、この『さらば、わが愛/覇王別姫』は、93年に同映画祭でパルム・ドールを受賞した作品です。

改革の時代、隆盛を極める京劇の中に生きた3人の人間の悲劇を、チェン・カイコー監督によって3時間に渡り描かれています。







妓楼で働く母親を持つ小豆(シャオトウ)は、ある日半ば捨てられるようにして、町の京劇の道場に預けられる。
淫売の子と呼ばれ虐められる小豆を、兄弟子 石頭(シートウ)はいつも庇い支えてくれ、共に厳しい京劇の修業に耐えながら成長していく。


やがて成長した二人は、京劇役者程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(ツァン・シャオロウ)として人気を博し、時代を象徴する名声を得る。
同じ志を持って支え合い成長し、共に夢を掴んだ二人は、ついに京劇の中に生きていくという術を手に入れた。

自らが演じる役柄のように強い絆で結ばれていたかのような二人だったが、妓娼菊仙(チューシェン)との出会いをきっかけにその関係は擦れはじめ、次第に各々の運命を狂わせていく事となる――








『覇王別姫』は、古典"四面楚歌"を題材にした京劇の演目であり、項羽と、その愛妾虞姫の別れを描いた話です。


幼い頃からその台詞を諳じて虞姫を演じ、なりきる事によって、次第に虞姫の中でしか生きられなくなった蝶衣の、行き場のない心がこの物語に何ともいえない悲劇を落としています。





『指が多いから』『じゃあ切ってしまえば良い』のままに、母親に指を落とされ、拷問とも言える修業の場に放り込まれた蝶衣が、唯一信じられる存在だったのが小樓であり、共に項羽と虞姫を演じるうちに、現実でも自分を虞姫と重ね合わせてしか見られなくなった蝶衣。


しかしここには、芝居の中に生きる者蝶衣と、現実を生きる者小樓として、相容れることの出来ない壁があります。



蝶『一年 一月 一日 一秒離れていたくないんだ』

小『舞台を降りれば普通の暮らしがある』




舞台では無二のパートナーであっても、蝶衣にそれ以上の感情を持てない小樓は、やがて妓楼の花菊仙と恋仲になります。



二人の想いは形の違うものであり、重なることがないもの。


幼い頃、台詞を間違えないように『女になりきれ』と言われ育ってきた蝶衣が、心から女になりきった時には、女として望むものを得られないというこの皮肉には、生きていく上でのこの上ない残酷さを感じました。


一度失った人間が、また大事なものを失う怖さというのはどうしたらいいのか。
giselleにもよく解りません。

ただ、蝶衣の心を埋めるのが小樓であっても小樓がそうでない限り、本当には蝶衣を救えないのだと思いました。




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戦乱、変革、共産党…

時代の変化を巻き込みながら、蝶衣、小樓、菊仙の三角関係は徐々に複雑さを増していきます



蝶衣と菊仙は…同じ小樓を想う恋敵として、解り合う事は出来ない間であったけど、実はとても絶妙なバランスを持った関係だったように思います。

初めて菊仙が妓楼を抜け出し小樓に結婚を迫りにきた時、蝶衣は、邪険にしながらも裸足の菊仙に靴を投げてやるのだけれど、giselleにはこの行動が、端に"自分の方が長く小樓の側に居て、彼を知っている"という優越感だけからきた行動には思えないのです。

恋愛感情は別にして、素直に、人として菊仙の足を気づかった優しさからだったのではないかと。

本来は純粋で優しく、人を傷付ける事が出来ない蝶衣なのだと思いました。



その証拠に、小樓を菊仙に奪われ二人が結婚という形になっても、蝶衣は憎んでいながらも、自らそれを壊そうとはしないのです。
壊れればいい、とは思っていても。

嫉妬、哀しみ、怒りを自分に取り込んで、消化出来ず、破滅に向かってしまうタイプの蝶衣。


小樓という希望を失い、パトロンの愛人となり阿片に溺れ堕ちていく蝶衣の様は、見ていて何故かぞっとするほどの美しさがありました。
壊れていく美しさの中に妖しい魅力があり、それを演じたレスリー・チャンの演技はとても素晴らしいものでした。





そして菊仙ですが、菊仙もまた、小樓を想い平安を望むがために蝶衣を嫌い、二人をを引き離そうとするけど、心から蝶衣を嫌う事は出来ずたまに覗かせる蝶衣に対する優しさに、心が痛くなりました。

小樓の事さえなければ、菊仙は蝶衣を悪く思っていないだけに、彼女も悩み苦しんだのだと思う。


阿片の禁断症状により、幻覚の中で寒さに怯え母親を呼ぶ蝶衣を、菊仙が布団ごと抱き締め母親のようにあやすシーンは、見てると悲しいけれど、そこにある悲しい愛情を感じられ胸を打たれる場面でした。

出会い方が違っていれば、二人は友達として出会い、傷つけ合わずに済んだのかもしれない








やがて戦争における日本軍の降伏により、共産党による文化大革命が起こります。
昨日まで良しとされたものが、今日は罪悪というようになり、京劇もまたその弾圧の対象となります。

たしか、改革の中心である毛沢東の夫人が現代劇役者出身だった為、伝統ある京劇も対象になったとか、そんな理由だったと思います。

その為、自己保身のための仲間による告発や、愛弟子 小四による裏切りなど、新しい時代の中で次第に京劇は居場所を無くしていき、同時に蝶衣の唯一の居場所も奪われていきます。


"演劇会の化け物""役者は国賊"と呼ばれ、民衆の前で悔い改めを行わないと許されないまでに追い詰められた時、ついに小樓は、役者としての蝶衣までも否定してしまいます。


その瞬間に蝶衣は全てを失い、混乱と憎しみから二人はお互いを罵り始め、最後には菊仙をも巻き込んで更なる悲劇を招いてしまいます。




そして解り合えぬまま月日が経って、再会の日、蝶衣はある行動を起こす…








蝶衣のした行動が何だったのかは書きませんが、この、蝶衣のしたことの意味が、皆さんは解るでしょうか?
悲しいながら、giselleには少し解りました。



『愛しても 愛し足りない
憎んでも 憎みきれない』


映画を観て、改めてこのキャッチコピーの意味を考えてみると、より深く楽しめるかもしれません。





またこの映画は、蝶衣を演じたレスリー・チャンの女形としての演技が素晴らしいのと同時に、まるでレスリー本人を表現するかのような映画になっています。


この映画に出演した10年後に、レスリーはホテルから飛び降り亡くなりました。

理由はわかりませんが、自らも同性愛者であったり、普段から思い詰める性格であったことなど、繊細な心の持ち主で苦しんでいたのかもしれません。



蝶衣が虞姫に自分を重ねたように、レスリー本人とも共通点が多いこの作品は、なにかレスリーのドキュメンタリーを観ているような不思議な気になりました。


giselleはレスリーは『男たちの挽歌』位しか知らないけど、改めて彼の魅力にハマり、もう彼の新しい映画は観られないと思うと、すごく残念に思います。








レスリーの神秘的な魅力が、最大限に表れている作品。

泣いて感動する、という種類の映画ではないけれど、涙を流すよりももっと感動が大きい映画だと思います。

そしてこの映画の特徴なのか、人物を鏡越しに映すシーンが多く、それが額縁のようになって、綺麗な絵を観てるようでした。

やはりパルム・ドールを取っただけあって映像がすごく綺麗。



機会があったら、是非観てください。


それでは。



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同タイトルの、松田美智子の著書の映画化。
『女子高生監禁飼育事件』の著者です。



…いやすごいタイトルです。
最初結構な勇気がいりました。
一応、山本太郎主演ということで頑張って手を出してみました。





主人公梨里は、恋人ヒトシにDVを受けながら、身体を売って生活していた。
ある日、現金を用意できない事にに怒ったヒトシに捨てられた梨里は、サラリーマンの男を見つけて援交を迫るが、揉み合いになった末突き飛ばされて階段から転落し気絶してしまう。

そして梨里が再び目を覚ましたのは、知らない屋敷のベッドの上。
そこで梨里は、自分を運び介抱した口の聞けない男、タケルと出会い、奇妙な生活を送っていくうちに、彼を取り巻く歪んだ悲しい人間関係を知ることになる―――


















まず冒頭は、雨の降る公園で梨里が必死にヒトシを追いかけるシーンから始まります。

そしていきなり男が立ち止まったと思った次の瞬間

『ガッ!!!』




いきなり女の子が殴られてびっくり。

このヒトシって男、脇役だけど実に最低な奴で、DVだし女を金の為に利用するような典型的な嫌な奴です。

必ず居ますねこんな男。


しかしびっくりしたのが、これを演じているのが松山ケンイチだったこと。

これがまた、中々に松ケンに似合ってました。

こんな事言ったらなんだけど、この人普段からこんな風に女の子殴って、酷い事言ってるんじゃないか。。ってくらいハマってました(笑)

松ケンって性格悪そうな役似合いますね。


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そしてその後公園で梨里が気絶してしまってから、いわゆる"監禁"と言われる部分に入っていく訳ですが。。




まずこのシーンを最初に、映画の中で何回か流れるピアノの曲があり、これがすごくいい曲です。

とても綺麗なメロディーで、悲しげな曲なんです。

山本太郎扮するタケルが梨里をおぶって走るとこから、屋敷について梨里の介抱をするまでの作業が、この曲で妙に綺麗なものに感じる。


ここでは梨里の自分を偽った姿を一つずつもどしていく感じがして、なんだか気に入った場面の一つです。









…しかしまぁ、初めてタケルが出てきた時に少しgiselleは衝撃を受けました


山 本 太 郎 が 長 髪


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なんか、見ちゃいけないものを見た感じでした…(笑)

まぁ見慣れてくれば大丈夫ですが、やっぱり山本太郎は髪伸ばさない方がいいなぁと。 苦笑

坊主が一番坊主が。









最初にタイトルを見た感じで、giselleはなんとなく、『地下室』が監禁の舞台なんだと思ってました。

けど違ったね、家の二階でした。
まぁこの『地下室』は後に意味を持ってくるのですが。

突然知らない男に屋敷の部屋に閉じ込められ、全く訳の解らない梨里は、やはり隙をみて度々逃げ出そうとします。

口の聞けない見知らぬ男に鍵を掛けて閉じ込められたのだから当たり前でしょうが、しかしそれもことごとく失敗に終わってしまいます。



劇中近所の人がタケルの様子を見に家に来た時も、やはり脱走しようとして失敗するのだけれど、ここではむしろこのおばさんの雰囲気が印象に残ります。

色々タケルを気遣っておせっかいを焼こうとするけど、それがなんかいちいち色気付いてるんです。


けどすごい解る!っていうか、特にどうしようとか考えてる訳じゃないけど、なんか男の人に女の部分を出そうとする年増の人っているいる。
あぁなんかすごいリアルだなと、変に共感して苦笑した場面でした。








まぁそんな感じで、度々脱走を阻止されるから梨里はタケルに対してとても反抗的になるのだけれど、『監禁』されてるのにそんな態度取れるかな…ってとこは少し疑問に思いました。

何されるかわかんないのに、普通恐くて中々そんなことできないような気がします。


でも結果で言うと、タケルは梨里が逃げ出さないように縛る事はあっても、絶対に手を上げないんです。

他は梨里がどんな態度を取っても怒らず、悲しそうな表情で梨里の世話を焼くだけ。

梨里がちゃんと食事を摂ると、安心して微笑んだりする。




ここからして、この映画は、いわゆるイメージする『監禁』とは少し違うのかなと思いました。

なんていうか、監禁したかったからじゃなくて、出ていかせたくなかった故の拘束という感じ。


梨里を助けたいからヒトシの元へ行かせたくないけど、そんな事出来ないから縛ってしまって、その延長線で監禁になっているという雰囲気でした。


それ同じじゃん?って思われるかもしれないけど、微妙に違うこの心理は、一緒の枠には出来ないように思いました。


何故タケルがそこまで梨里に執着するのかは、この物語の肝になってくるので言いませんが、梨里を押さえつけながら泣いたり、ある記憶にうなされパニックを起こす山本太郎の演技は結構リアルですごかったです。


あまり本人のイメージに合わないけど、こういう役も出来るんだなぁと思いました。









そんなタケルを見て起こる梨里の心情の変化の他に、この映画では、三杉隆子という初老の女性を演じる加藤治子さんの演技がとても素晴らしいです。


桜の花とシンクロして進む隆子の感情の変化や表情、隆子の寂しさや嫉妬、悲しさなど、様々な思いがすごく伝わってきました。


『あたし、ずっと自分の中で時が止まってしまっているの。』


『だから、あたしは、最期まで"女"なの。…気持ち悪いでしょう?』


一つ一つの台詞に隆子のこれまでの人生が詰まっています。

この人も悲しい人なのです。

けどgiselleはなんか、こういう"最期まで女"という気持ちは、本当は女の人皆が持ってる感情じゃないかって思います。

好きな人が選んだ口紅をつけたいと思ったり、その人が惹かれてる女の人に嫉妬したりするのも、女だから。


だからgiselleは、隆子がタケルさんを返して離した瞬間は、どんなに悲しい気持ちだったろうって思いました。


手紙の宛名は"芳彦さんへ"で、さよならを言うときは"タケルさん"。

これが、隆子が【タケル】という人を手離した瞬間だと思いました。


隆子の想いは悲しくもとても純粋なものだったので、なんだか心を打たれた最期でした。


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そして、梨里がタケルの記憶を取り戻すために地下室を開けます。



…ここまではまぁ好きな感じで進んできた話だったんですが。。


正直、この後giselleはシーンを少し飛ばしました。


いやなんか…
途中なにか、うそやぁん!って感じなトンデモ展開になってしまって…思わず苦笑いが。(笑)

記憶を取り戻す儀式を行うんだけれど、ちょっとその方法に問題がありました。

とにかくあれはもう、シリアスなシーンなのに笑うしかない。(笑)

その後からはちゃんと見ました。(笑)




タケルが記憶を無くして喋れなくなったのは、過去のある辛い体験が原因だったようです。


大切なものを守れなかった、後悔と悲しみ。
それがずっとタケルを、記憶と言葉を無くすほどに追い詰めていたものだったのです。



それが梨里を守ることで、タケルはやっと後悔から救われることが出来るという、償いの物語でした。
梨里を救う事で、タケル自らも救われるという話。





地下室での行動は、タケルを想うからこその梨里の行動だったけど、腕を頭上で組んで"自分"を見てもらおうとした動作は妙に切なくなりました。


ここで言えることは、隆子と同じように、梨里もまた"女"だったということ。

女であるということに、年齢や期限は関係ないって事ですね。


生きてきた環境のせいで荒んでしまっていた梨里だけど、梨里もまた、タケルを救う事で自分も変われるだろうという暖かい場面でした。






その後二人の生活は変わってしまうけれど、悲しいままで終わらなくてよかったです。
奇妙な出逢い方の二人ですが、最後に二人に少しだけの救いが訪れます。
「飼育」シリーズでは珍しいハッピーエンドなのではないでしょうか。
けど最近、こういう救いのある話って好きです。


雨の中梨里のウィッグを外す瞬間が、とても好きでお薦めなシーンです。


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後編に最大のツッコミ処があったのが残念だったけど、音楽と雰囲気のいい映画。
何気なく監督を見たら『ISOLA-多重人格少女-』の監督だった事に吃驚です。

随分昔に観た好きなホラーの監督でした。

どうやらgiselleはこの人の作る映画の雰囲気が好きみたいです。



タイトルがタイトルだけど、女の人も観ても何か感じる映画かも。

気になったら観てみてください。


それではパー



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