https://news.yahoo.co.jp/articles/7ff29fced74f4774342f3fb7e5deae325b91885c

徴用の給料袋 産業遺産センター寄贈の男性に感謝状

産経

内閣府は27日、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」を紹介する

産業遺産情報センター(東京都新宿区)に、いわゆる徴用工だった朝鮮半島出身の父親

の給料袋を寄贈した兵庫県相生市の元在日2世で日本に帰化した清本清一さん(79)ら

に感謝状を贈った。

半島出身の労働者に適切な報酬が支払われていたことを示す一次資料といえる。 

センターの展示を巡っては、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が2021年、

徴用された朝鮮半島出身者に関する表示が不十分と指摘したが、

徴用工の待遇を説明する給料袋などが追加され、今月14日に展示を評価する決議を出していた。 

清本さんは播磨造船所(同市)に勤務した父親が昭和17年1月から

終戦後の20年10月までに受け取った給料袋約40点などをセンターに提供した。

その多くが当時の男性工場労働者の平均月給を上回っていた。 

清本さんは産経新聞の取材に、父親の待遇について「賃金は学校の校長と変わらないほどだった

と述べつつ、「ミカンの皮を食べて、しのいだという話も聞いた」とも語り、

出身地の違いに関わらず厳しい環境だったと振り返った。

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「戦中戦後、懸命に働いてきた父に親孝行できた」-。
朝鮮半島出身の父親が戦時中、「内地」の造船所で受け取った給料袋などを
大切に保管していた兵庫県相生市の清本清一さん(79)。
これらの資料一式を寄贈した政府の「産業遺産情報センター」(東京都新宿区)
から27日、感謝状が贈られ「こんな立派な所に展示してもらえるとは夢にも思わなかった」
と喜びをかみしめた。 
清本さんの父は、昭和11年に朝鮮半島南部から内地へ渡航し、
17年から相生の播磨造船所で働き始めた。
給料袋は、同年1月から終戦後の20年10月までのものが残され、
工賃や手当てなどの賃金や控除金などが詳細に記されていた。
清本さんはこれらの給料袋に加え、当時の日記やメモなどを合わせて48点を
今年2月、同センターに寄贈した。 
同センターでは、当時の徴用労働者の実態を知る貴重な一次資料として詳しく
調査・分析し、レプリカを作製するなどして一部を館内で新たに展示。
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」をめぐり、国連教育科学文化機関(ユネスコ)
世界遺産委員会が表明した「強い遺憾」に対する朝鮮半島出身の徴用労働者の待遇
を示す証拠としても、このほど大きな役割を果たした。 
館内でこの日開かれた感謝状の贈呈式で、加藤康子センター長は
これらの資料は、戦後の日本が語ってこなかった歴史の空白を埋める貴重な証言
日韓両国の友情の第一歩となる展示にしたい」と話した。 
給料袋が並び、自身のインタビュー映像も流れる展示会場を見学した清本さんは
「給料袋には、真面目に働いてきた父の人生が刻まれているように思えた」と感慨深い表情。
『徴用工』の問題は日韓間では解決済みで、韓国政府が自国内で努力すべきものだ。
これを問題視した韓国の前政権に対し、この給料袋が解決の一端になればと思ってきた
と振り返った。 
その上で「徴用工に対して劣悪な待遇の会社がなかったとはいえないが、
そこだけを取り上げれば全体像が見えなくなる」と指摘。
「韓国の現政権は良い方向に向かっている。
日韓両国が未来志向で平和に向けて協力し合う関係であってほしい」と強調した。
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