新たな火種になるかは別として。。
「朝鮮人の志願兵制度を帝国議会で最初に取り上げたのは、
朴春琴(パクチュングム)という朝鮮人の衆院議員でした」は。。初耳。。
●倍率をみれば、いかに軍が人気の職種だったか窺い知れる。
●“望んで日本の軍人になった”のは誤解でも何でもない。
で。。韓国紙では。。
「志願兵はいたのは事実だが、まるで自ら望んで行ったかのように・・」
。。。なんでしょう。。この屁理屈のような言い方は。。ww
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https://jp.yna.co.kr/view/AJP20230328004900882
検定に合格した教科書で「志願して兵士になった朝鮮の若者たち」の記述に対し
●韓国政府系シンクタンク、東北アジア歴史財団のチョ・ユンス教科書研究センター長
・(戦場に送る)制度を実施したこと自体が圧力だ。
・望んで日本の軍人になったという誤解を招きかねない。
・形式上、志願兵として送ったとしても、当局が様々な方式で当事者に
圧力をかけたため事実上選択の余地がなく日本兵になった人たちがいる。
・このような教科書で学んだ未来の世代は韓国に対する偏見と誤った認識を持つ
ことになり、心配だ。
●アジア平和と歴史研究所のイ・シンチョル所長
・志願兵がいたのは事実だが、まるで自ら望んで行ったかのように強調するのは
植民地支配されていた状況に対する理解を排除したもの。
・今年検定に合格した教科書は全般的に改悪された。
・(韓国政府が)過去は忘れて交流しようというメッセージを投げかけるのは受け入れ難い
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https://news.yahoo.co.jp/articles/51b1af0c50722e112d99c2123ae9c6225d3f9a9f
韓国のユスリタカリ「慰安婦」「徴用工」の次は「志願兵」
検定教科書めぐり「遺憾の意」を表明
デイリー新潮
3月末、文部科学省が2024年度から小学校で使用される教科書の検定結果を公表した。
その途端、韓国外交部は熊谷直樹駐韓総括公使を呼び出して抗議に及び、
「深い遺憾の意を表す」との声明も発表。
「竹島」を日本固有の領土と明記したことと、
日本統治下の「朝鮮人志願兵」にかかわる記載がその原因だった。
・
「東京書籍」の6年生向け社会科教科書には、軍服姿の兵士の写真に
〈志願して兵士となった朝鮮の若者たち〉とのキャプションが付けられている。
「志願して」の一文に韓国外交部は噛み付いたのだ。
この志願兵の賠償問題が、「慰安婦」や「徴用工」に続く日韓関係の火種になるかもしれない。
「アジア調査機構」の加藤健代表に訊くと、
「そもそも、朝鮮人の志願兵制度を帝国議会で最初に取り上げたのは、
朴春琴(パクチュングム)という朝鮮人の衆院議員でした」
日韓併合後の1925年以降、内地の朝鮮人にも選挙権、被選挙権が保障された。
朴代議士は32年と37年の衆院選に当時の東京4区から出馬し、当選している。
・
37年8月に開かれた衆院請願委員会の議事録によると、
朴代議士は、朝鮮人志願兵制度の導入を請願。続けて、
〈内鮮が全く一体となって、内地七千万人の持つ日本精神を、
新日本国民である朝鮮二千万人に対して一日も早く植え付け、
九千万が一体となって此(この)非常時を突破しなければならぬ〉と力説した。
・
翌38年の2月、陸軍特別志願兵令が制定され、
その年4月から、朝鮮人に対する志願兵制度が実施された。
朝鮮人志願兵の人数については、内務省が43年に作成した『朝鮮及台湾の現況』
という公文書に残されている。
38年度は志願者数2946人に対し、訓練所への入所者数は406人。
翌39年度が1万2348人と613人、43年度は30万3394人に6000人だった。
「入所倍率は当初、7.3倍で、43年度には50.6倍にまで膨れ上がりました。
朝鮮総督府のデータによると、当時、朝鮮人の人口はおよそ2400万人。
うち30万人の志願なら、人口1億2000万人の現在の日本に当て嵌めると、
150万人が自衛隊に応募した計算です。
実際には、自衛隊への応募者は年間8万5000人前後ですから、
いかに軍が人気の職種だったか窺い知れる。
“望んで日本の軍人になった”のは誤解でも何でもないのです」
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