橘さんの分析。。

●山上ツィで、〈映画『ジョーカー』が描いた「下級国民の反乱」〉をRT

映画『ジョーカー』では、アーサーは「自分はまるで存在していないかのようだ」

と繰り返し訴えるほど孤独で、その“絶望”から狂気と妄想にとらわれ

ジョーカーへと変わっていく。

●橘さんは寄稿で、性愛から排除された若い男性による無差別銃撃事件が立て続けに起こった

ことを、橘さんは「社会への復讐」と分析。

●新興宗教団体に家庭や人生を破壊されたという「強い怨恨」があるのは明らかだが、

これを単純な因果関係で考えていいのかは疑問。

この教団に家庭を壊されたひとはたくさんいるが、そのほとんどは犯罪など起こしたりしない。

だとしたら、逆の因果関係もあったのではないか。

自衛隊を退職したあと、頑張って資格を取ったにもかかわらず、40歳を前にして、

社会からも性愛からも排除されているという現実を突きつけられた。

“とてつもない孤独”のなかで、なぜ自分の人生はこんなことになったのかを

考えていくうちに、人生をさかのぼって教団を悪魔化するようになっていった。  

すべての困難の原因が教団にあり、自分は純粋な被害者(善)だとするならば、

その教団とかかわっていた(とされる)元首相が絶対的な「悪」として

立ち上がってくるという構図。「下級国民のテロリズム」の範疇に入る。

●秋葉原で起きた無差別殺傷事件(2008年)の犯人も孤立していたが、

それでも親身に相談に乗ってくれる故郷の友人や年上の女性がいた。

(●山上ツィ

親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人に捨てられ、彷徨い続け幾星霜、

それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない。それがオレですよ。)

。。ちなみに。。

山上は、文春をフォローし。。

文春の記事「強行に及んだ青葉真司被告の“特殊な家庭環境”とは?」もRTしていた。。

その記事を。。最近、文春が再投稿。。

山上との共通点。。

●実父の自殺は一家の崩壊を招く。

●5人家族・・兄、青葉、妹という家族構成。

●5人家族のうち父、兄、妹が自殺、母親は離婚後に別家庭を持ち疎遠に

・・自暴自棄になった青葉。

●己の人生は両親や社会からのリンチだと悟ったのか、憎悪の火に油を注ぐ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/241051c9ae64de

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https://news.yahoo.co.jp/articles/f800dc2bd5c3aad485895527744d0c06bf8eb4d7

“安倍氏銃撃”の山上徹也容疑者はなぜTwitterのアカウント名を「silent hill 333」にしたのか

●『サイレントヒル3』はカルト教団をテーマにした物語で、

ヒロインは教団をめぐる因縁を断ち切るために信者と戦う。

親子愛も大きな要素のひとつで、前向きで感動的なラスト

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https://news.yahoo.co.jp/articles/fa46731ec1f21b005516bb6baff7d87636dc4b6b

山上徹也容疑者のTwitterが閉鎖 明かしていた『ジョーカー』への感情移入

「真摯な絶望を汚すやつは許さない」

ポストセブン 記事抜粋

安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也容疑者のものと見られるTwitterアカウントが

7月19日に閉鎖された。同アカウントは2019年10月に開設。

山上容疑者は、NEWSポストセブンが2019年10月に公開した作家・橘玲氏の寄稿

〈映画『ジョーカー』が描いた「下級国民の反乱」〉をリツイートしており、

この記事について複数の投稿があることがわかった。

山上容疑者は映画『ジョーカー』に何を感じていたのか。

犯行に至った心理と背景を読み解くべく、橘玲氏にあらためて話を聞いた。

・・・

『ジョーカー』では、主人公のアーサーには政治的・思想的な背景はなにもない。

たしかに格差拡大への怒りで群衆が反乱を起こす場面が描かれてはいますが、

アーサー自身にはエリートや富裕層に対する憎悪もなければ、アンチ・グローバリズムや

反資本主義などのイデオロギーもまったくありません。  

同様に今回の容疑者も、安倍元首相の政治信条にはなんの関心もなく、

カルト宗教団体に人生を破壊されたという個人的な恨みが犯行の動機とされています。

しかし、背後からなんのためらいもなく2発の銃弾を浴びせるというのは、

自分の行為が絶対的に正しいという確信がなければ不可能。

〈ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。〉という投稿を見て、

自分とジョーカーを重ね合わせていたのではないかと感じました。

・・・・

秋葉原で起きた無差別殺傷事件(2008年)の犯人も孤立していましたが、

それでも親身に相談に乗ってくれる故郷の友人や年上の女性がいた。

映画『ジョーカー』では、アーサーは「自分はまるで存在していないかのようだ」

と繰り返し訴えるほど孤独で、その“絶望”から狂気と妄想にとらわれ、

ジョーカーへと変わっていきます。

容疑者がアーサーに感情移入したのは、そこに自分と同じ「とてつもない孤独」を

見たからではないでしょうか。  

ハロウィンの日にジョーカーの仮装をした24歳の男が、京王線内で男性の右胸を刺し、

ライターオイルをまいて車内に火をつけた事件(2021年)がありましたが、

日本の社会にはアーサー(ジョーカー)の造形に強く惹きつけられる男が一定数いるのでは、

とも思います。

─元記事では「非モテのテロリズム」にも言及しています。アメリカで「インセル(Incel)」と呼ばれる性愛から排除された若い男性による無差別銃撃事件が立て続けに起こったことを、橘さんは「社会への復讐」と分析しています。  一方、山上容疑者も〈ジョーカーがインセルを助長するかもしれないと米国では言われているが、確かに似ている。だがジョーカーに身勝手だと言っても何も変わる事はない。〉〈インセルが狂気に走って希代の悪党になる映画が大ヒットとなれば女としては困るのは分かるが、ジョーカーはインセルでないのではなく憎む対象が女に止まらず社会全てというだけ。「インセルか否か」を過剰に重視するのは正にアーサーを狂気に追いやったエゴそのもの。〉と投稿しています。これらはおそらく、橘さんの記事を読んだうえでのコメントだと思いますが。 橘:今回、投稿を読んではじめて「恋人に捨てられ」ていることがわかりましたが、フェミニズムへの批判やミソジニーへの言及もあることから、容疑者が自分をそこに加えていたかどうかはともかく、“インセル/非モテ”を意識していたことは間違いないでしょう。若い男の最大の絶望は、社会的・経済的に排除されることではなく、性愛から排除されることだと『無理ゲー社会』などで述べてきました。容疑者は、そうした怒りが社会への憎悪に向かっていくことを自覚していた可能性はあると思います。

 

ただ投稿を見ると、容疑者はジョーカーをたんなる「非モテ」ではなく、もっと巨大な存在だと考えていたようです。「憎む対象は社会全て」というのは、今回の行動がより大きな物語のなかでの「復讐」であることを示唆しているようでもあります。

すでに報道されているように、新興宗教団体に家庭や人生を破壊されたという

強い怨恨があるのは明らかです。しかし、これを単純な因果関係で考えていいのかは疑問です。

この教団に家庭を壊されたひとはたくさんいますが、そのほとんどは犯罪など起こしたりしないわけですから。

 だとしたら、逆の因果関係もあったのではないか。自衛隊を退職したあと、頑張って資格を取ったにもかかわらず、40歳を前にして、社会からも性愛からも排除されているという現実を突きつけられた。“とてつもない孤独”のなかで、なぜ自分の人生はこんなことになったのかを考えていくうちに、人生をさかのぼって教団を悪魔化するようになっていった。  すべての困難の原因が教団にあり、自分は純粋な被害者(善)だとするならば、その教団とかかわっていた(とされる)元首相が絶対的な「悪」として立ち上がってくるという構図は理解できます。確信があったわけではありませんが、容疑者の『ジョーカー』への思い入れがわかったことで、今回の事件も、京アニ事件(2019年)や大阪の診療クリニック放火事件(2021年)などと同じく「下級国民のテロリズム」の範疇に入るのだろうといまは考えています。