なるほど。。

バッハ会長の発言(それも国際ホッケー連盟関連で)

我々は、これ(五輪の夢)を可能にするために、

いくつかの犠牲を払わなければいけない。」

デイリーが「誰もが犠牲をと翻訳ミス。

これを「五輪反対」「政権交代」に利用したのが、立憲民主党の枝野

「犠牲」を払う「我々=選手や大会関係者」を、なぜか(わざとか?)

国民の命を犠牲にするのかーー」と五輪中止・延期を煽ったと。。

★記事まとめ

●誰に対して何を犠牲にしろと言っているのか?

●「誰もが犠牲」発言は誤訳の可能性が高い。

そもそも、今回の発言は「国際ホッケー連盟」のオンライン総会での発言。

バッハ氏のこれまでの発言を追っても、一環して「犠牲」を払うのは

選手や大会関係者など。

日本国民に対して「 犠牲になれ」と言ったと受け取ることは難しい。

●結論

バッハ氏が「犠牲が必要」と語っているのは選手や大会関係者

理由は「すべての参加者にとって安全で安心なオリンピックを確保する」ため。

オリンピック開催のために「命を犠牲にしろとは言っていません

「(安全と安心な)五輪のために我々(大会関係者)は、

いくらかの犠牲を払わないといけない」

という発言に対して、

「命を犠牲にしてまで五輪に協力する義務は誰にもない」(枝野の発言)

との反論はおかしい

。。。

ちなみに。。

初報道のデイリーの記事では

「五輪の夢を実現するために、

誰もが いくらかの犠牲を払わないといけない。

アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」

と語った。

で。。英語訳

The IOC chief said everyone has to make some sacrifices to

fulfil their Olympic dreams.
"We have to make some sacrifices to make this possible.

The athletes definitely can make their Olympic dreams come true,"

Bach said.

「(IOCバッハ会長は)

五輪の夢を実現するために、

誰もがいくつかの犠牲を払わなければいけないと語った。

我々は、これ(五輪の夢)を可能にするために、

いくつかの犠牲を払わなければいけない。

アスリートは、間違いなく、五輪の夢を叶えることができる


・・・・・

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20210524-00239524/

東京五輪のバッハ会長「誰もが犠牲」発言は翻訳ミスでは? 

同じ会議で「全員の安全と安心は最優先」とも

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が5月22日、

五輪のために誰もが いくらかの犠牲を払わないといけない

と発言したとして、SNSを中心に批判が相次ぎ炎上しています。

また、批判はSNSだけにとどまらず、立憲民主党の枝野幸男代表も

23日の富山県連大会で、

命を犠牲にしてまで五輪に協力する義務は誰にもない」

と疑問を呈したとのことです。

これらの流れを見て思ったことは、「本当にそんな発言をしたのか?」

です。

 “オリンピックを開催したい人”が、開催について批判もあるなかで

「感染するかもしれないけどお前らみんな犠牲になれ」

とは言わないと思うんですよね。

そんなのただのアホじゃないですか。

 というわけで原文を当たりました。

まず、日本語での初報はデイリースポーツのこちらの記事です

この記事では「国際ホッケー連盟のオンライン総会で発言した」とある。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e29d0c1c85be7c9941383ee453a250be5b77a7d8

五輪の夢を実現するために誰もが いくらかの犠牲を払わないといけない。

アスリートは間違いなく彼らの五輪の夢を実現することができます」

残念ながらオンライン総会の議事録は見つけられませんでしたが、

このことを報じている海外メディアはありました。こちらの記事です

https://timesofindia.indiatimes.com/sports/tokyo-olympics/tokyo-olympics-on-schedule-says-ioc-chief-thomas-bach-despite-japanese-opposition/articleshow/82857514.cms

 たしかに、記事内にバッハ氏の発言として

「We have to make some sacrifices to make this possible

(オリンピックを開催するためには、我々はいくらかの犠牲を払わなければいけない)」

とあります。

 今回の問題点は、「We」をどう翻訳するのかという点です。

普通に読めば「我々」や「私たち」です。

デイリースポーツはこれを「誰もが」と翻訳しました。

そして、「誰もが」=「全員」と受け取れるため批判が起きました。

本当に「誰もが」なんでしょうか?

 原文とみられるインドの記事では、

バッハ氏は次のようにも発言しているとあります。


では、誰に対して何を犠牲にしろと言っているのか? 

幸い(?)なことにバッハ氏は「当初から犠牲が必要と言ってきた」

と言っているため、過去の発言を探してきました。

●まずは2021年3月のロイター通信の報道

~~~~~~~~~

「『ホテルをキャンセルした場合の費用は補償されない』と彼は言った。

また、主催者は大会に参加するスタッフを減らすことも検討している。

バッハ氏は、オリンピックファンや東京への渡航を予定していた

選手の家族や友人の失望を共有していると述べた。

『このことについては、本当に申し訳ないと思っています。

皆さんにとって大きな犠牲を強いられることは承知しています。

このパンデミックが始まった当初から、「犠牲を払わなければならない」

と言ってきました』

とバッハ氏は声明で述べた。

しかし、安全が第一であるとし、

『日本のパートナーや友人が軽々しくこの結論に

到達したわけではないことは承知しています』と付け加えた」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

東京へ旅行できず、ホテルのキャンセル料も補償されないことについて

犠牲」と言っています。

2021年1月の共同通信(英語版)の報道

「同じインタビューの中で、バッハ氏は関係者全員の健康と安全を守るために

IOCが“柔軟性”を持ち、“犠牲”を払う必要があることを認めた。

最新のビデオでは、すべての選択肢が検討されており、

『すべての参加者にとって安全で安心なオリンピックを確保するためには、

タブーはありえない』と強調している」

~~~~~

こちらでは「関係者全員の健康と安全を保護するために

“犠牲”を払う必要がある」と言っています。

 バッハ氏が「犠牲が必要」と語っているのは選手や大会関係者です。

そして、その理由は「すべての参加者にとって安全で安心なオリンピック

を確保する」ためです。

決してオリンピック開催のために「命を犠牲にしろ」とは言っていません

「(安全と安心な)五輪のために我々(大会関係者)はいくらかの犠牲

払わないといけない」という発言に対して、

命を犠牲にしてまで五輪に協力する義務は誰にもない」と反論されたら、

言われた相手は困惑するかな、と。

 筆者も現状での五輪開催には反対の立場ですが、

本人はそのつもりで言ってないのに翻訳のミスリードに対して

反論するのは意味がないと思います。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/995d1bdea80b968f8ce9b7667252ec64b5141be6

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は22日の

国際ホッケー連盟(FIH)のオンライン総会に寄せた連盟関係者向けの

ビデオメッセージで、

「東京大会を実現するために、

我々はいくつかの犠牲を払わなければならない。

(そうすれば)選手は夢を間違いなくかなえることができる」と述べた

会議に出席した関係者は、「犠牲」について

参加する方も今までと違った形なのでいろいろな制約があるけど、

それは我慢してやるべきだというニュアンスと受け止めた」と述べた。

3月にも、日本側の意見を尊重するとした上で

誰もが犠牲を払わないといけない」と声明を出していた。

「犠牲」の内容について、来日する関係者の削減や、

選手村と競技会場など移動できる範囲の限定

コロナの影響による予選中止渡航制限によって起きる

選手選考の変更などを挙げていた。

(ロンドン=遠田寛生)


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