こんにちは
本日もお越しくださってありがとうございます!
『刻のエンピツと木の精ポチカ』第八話を公開いたします(^^)/
イワナを初めて釣り上げた真琴とポチカは、塩焼きにして食べることを計画します。
しかし、しばらく目を離した間に何者かがイワナを持ち去ったようです……?
お父さんとお母さんは険悪ムードが漂いながら、
キャンプの夜は更けていきます。
それでは、どうぞ
↓ ↓ ↓
刻のエンピツと木の精ポチカ8
「元気そうだけど」
「うん、でもきっとすごく痛いと思う。――痛いっていうのと、違うかもしれないけど」
ポチカはイワナの身体を洗いながら、静かにいった。さっきのとは別のトンボが二人の近くをしばらく飛んで、どこかへ離れていった。向こうでは、渉と優がどちらが先に釣れるかを競っているみたいだ。
それからもイワナは流れのなかでゆらゆらと漂うだけだった。真琴は近くに落ちていた大きめな葉っぱを拾って、ポチカに渡すと、ポチカはイワナを水から揚げて葉っぱに包んだ。
「ちょっと葉っぱも濡らしておこう」
真琴はポチカの包んだ葉っぱに川の水をかけた。
別の場所でも釣り糸を垂らしてみたけれど、ポチカが釣った一匹以外は全然魚はかからなかった。針が川底に引っかかってしまったり、エサの虫だけがなくなってしまったりして、実際に釣りができている時間のほうが短かったかもしれない。
竿を貸してくれた父親さんたちは慣れているのか、けっこう魚を釣り上げていた。流れにひたした網のバケツのなかに、何匹も魚が入っている。
「これも貸してやればよかったな、さっき釣ったの弱っちゃっただろう。でも――な、店とかに比べれば釣ったばかりだし、大丈夫だぞ。後でもっと欲しかったらおいで」
父親さんは今日の釣れ具合に納得している顔でいった。
「はい、ありがとうございます。これ、ありがとうございました」
真琴とポチカは釣竿を返した。思ったよりも時間が経っていて、太陽が山の尾根に近づいている。そういえば、川の流れる音に加えて虫の声も大きくなってきた気がする。
「――おれのほうがデカいって、ワタルのこんなじゃん」
「いいよ、それでも。いいっていってる」
「でもちゃんと認めてないだろー」
優が釣竿を脇にはさんで、両手で魚のサイズを示しながら渉と一緒に歩いてきた。渉は面倒くさそうにうなずいている。二人が持っている網にも数匹の魚が入っていた。
「あれ、もう帰んの? いくつ釣れた?」
ポチカに向かって優が訊いた。
「さっきの一匹だけだよ。すぐるくんたちは?」
「かなり釣れたぜ。この川の魚、釣りつくしたんじゃないか」
待ってましたという顔で優がいうと、父親さんがちょっと厳しく、
「全部釣っちゃったらダメだろう、魚がいなくなったらおまえたちも楽しくない。魚に遊んでもらってるんだ、むしろ」
「おれは遊びじゃない、マジのバトルだ」
「いや、普通にしてていきなりバトルされても魚も困んない?」
渉が突っ込むと「確かに」といって優は大笑いした。まだ釣り足りないという様子で、川のほうを見る。
「最後一回」
「動物たちにも残しといてやれー」
父親さんがエサの箱を渡してあげると、優はまた自分が探し当てたらしいポイントへ跳ねるように走っていった。
「真琴君は釣れたの?」
「全然。でもまあ、いいです」
渉に首を振ってみせてから、真琴は笑った。食べ物は持ってきているし、川からあんまり魚を取りすぎてもいけないような気がした。
「そうだな、それもいいな。蒸し焼きしたら身がほぐれやすくなる。けど、葉っぱだけだと燃えるからアルミホイルも巻くといい」
父親さんがイワナを包んだ葉っぱに目をやったので、ポチカがちょっと持ち上げたら水が滴った。
「塩焼きもいい。魚の味が正面から分かる。――じゃあ、君らは戻るかい?」
「はい、いろいろとありがとうございました。がんばってください」
「ん? 釣りを? ああ、ありがとう」
真琴が挨拶をすると、父親さんは優しく笑ってうなずいた。真琴とポチカが広場への坂を登ろうとしたとき、後ろから渉と優が「じゃあなー」と手を振ってくれた。
「おもしろかったね」
ポチカはイワナを大事に持ったまま、にっこりした。
少し坂を登って振り返ると、渉と優が一緒にポイントを探していたり、別な場所で父親さんがひとりでゆったりと釣り糸を垂らしているのが見えた。途中から姿が見えなくなったと思っていた母親さんも、かなり下流のほうから釣竿を背負って歩いてきていた。
陽も傾き始めているから、渓流の水が橙色に輝いて、川べりの空気も薄赤くきれいな靄がかかったようだった。広場へ向かって川を離れるにつれ、水の音が小さくなって、何も聞こえなくなる瞬間があった後で、周囲の虫の声や草が風になびく音がよみがえってきた。
「ポチカ、そのイワナ、塩焼きがいい?」
真琴は自分が土を踏む足音を聴きながらいった。ポチカはちょっと疲れたのか、ぼんやりしているみたいだったけれど、
「まことくんの好きなほうでいいよ。ポチカ、どっちも食べたことないし」
「僕もないよ。――けど」
食べてもいいのかな、という言葉を真琴は飲み込んだ。午前中に見た鹿の骨の印象が強く残っている。もうイワナは動かなくなっているし、川へ戻すわけにもいかない。
「お母さんにどっちが美味しいか聞いてみよう?」
ほほえんでポチカがいった。
「うん」
真琴は自分がはっきりしない何かを考えているような気もちで答えた。お母さんは丸のままの魚を触るのが苦手だけれど、大丈夫だろうか。
坂を登り切って広場に出ると、野原にはもう真琴たちのブルーシートはなくて、お父さんもお母さんもテントに戻ってしまっていた。遠くに別の家族がいるようだけれど、それ以外には誰もいない。夕陽で芝生や木々に陰影が付いたのもあって、いやに広々とした場所に感じられた。
「うん、でもきっとすごく痛いと思う。――痛いっていうのと、違うかもしれないけど」
ポチカはイワナの身体を洗いながら、静かにいった。さっきのとは別のトンボが二人の近くをしばらく飛んで、どこかへ離れていった。向こうでは、渉と優がどちらが先に釣れるかを競っているみたいだ。
それからもイワナは流れのなかでゆらゆらと漂うだけだった。真琴は近くに落ちていた大きめな葉っぱを拾って、ポチカに渡すと、ポチカはイワナを水から揚げて葉っぱに包んだ。
「ちょっと葉っぱも濡らしておこう」
真琴はポチカの包んだ葉っぱに川の水をかけた。
別の場所でも釣り糸を垂らしてみたけれど、ポチカが釣った一匹以外は全然魚はかからなかった。針が川底に引っかかってしまったり、エサの虫だけがなくなってしまったりして、実際に釣りができている時間のほうが短かったかもしれない。
竿を貸してくれた父親さんたちは慣れているのか、けっこう魚を釣り上げていた。流れにひたした網のバケツのなかに、何匹も魚が入っている。
「これも貸してやればよかったな、さっき釣ったの弱っちゃっただろう。でも――な、店とかに比べれば釣ったばかりだし、大丈夫だぞ。後でもっと欲しかったらおいで」
父親さんは今日の釣れ具合に納得している顔でいった。
「はい、ありがとうございます。これ、ありがとうございました」
真琴とポチカは釣竿を返した。思ったよりも時間が経っていて、太陽が山の尾根に近づいている。そういえば、川の流れる音に加えて虫の声も大きくなってきた気がする。
「――おれのほうがデカいって、ワタルのこんなじゃん」
「いいよ、それでも。いいっていってる」
「でもちゃんと認めてないだろー」
優が釣竿を脇にはさんで、両手で魚のサイズを示しながら渉と一緒に歩いてきた。渉は面倒くさそうにうなずいている。二人が持っている網にも数匹の魚が入っていた。
「あれ、もう帰んの? いくつ釣れた?」
ポチカに向かって優が訊いた。
「さっきの一匹だけだよ。すぐるくんたちは?」
「かなり釣れたぜ。この川の魚、釣りつくしたんじゃないか」
待ってましたという顔で優がいうと、父親さんがちょっと厳しく、
「全部釣っちゃったらダメだろう、魚がいなくなったらおまえたちも楽しくない。魚に遊んでもらってるんだ、むしろ」
「おれは遊びじゃない、マジのバトルだ」
「いや、普通にしてていきなりバトルされても魚も困んない?」
渉が突っ込むと「確かに」といって優は大笑いした。まだ釣り足りないという様子で、川のほうを見る。
「最後一回」
「動物たちにも残しといてやれー」
父親さんがエサの箱を渡してあげると、優はまた自分が探し当てたらしいポイントへ跳ねるように走っていった。
「真琴君は釣れたの?」
「全然。でもまあ、いいです」
渉に首を振ってみせてから、真琴は笑った。食べ物は持ってきているし、川からあんまり魚を取りすぎてもいけないような気がした。
「そうだな、それもいいな。蒸し焼きしたら身がほぐれやすくなる。けど、葉っぱだけだと燃えるからアルミホイルも巻くといい」
父親さんがイワナを包んだ葉っぱに目をやったので、ポチカがちょっと持ち上げたら水が滴った。
「塩焼きもいい。魚の味が正面から分かる。――じゃあ、君らは戻るかい?」
「はい、いろいろとありがとうございました。がんばってください」
「ん? 釣りを? ああ、ありがとう」
真琴が挨拶をすると、父親さんは優しく笑ってうなずいた。真琴とポチカが広場への坂を登ろうとしたとき、後ろから渉と優が「じゃあなー」と手を振ってくれた。
「おもしろかったね」
ポチカはイワナを大事に持ったまま、にっこりした。
少し坂を登って振り返ると、渉と優が一緒にポイントを探していたり、別な場所で父親さんがひとりでゆったりと釣り糸を垂らしているのが見えた。途中から姿が見えなくなったと思っていた母親さんも、かなり下流のほうから釣竿を背負って歩いてきていた。
陽も傾き始めているから、渓流の水が橙色に輝いて、川べりの空気も薄赤くきれいな靄がかかったようだった。広場へ向かって川を離れるにつれ、水の音が小さくなって、何も聞こえなくなる瞬間があった後で、周囲の虫の声や草が風になびく音がよみがえってきた。
「ポチカ、そのイワナ、塩焼きがいい?」
真琴は自分が土を踏む足音を聴きながらいった。ポチカはちょっと疲れたのか、ぼんやりしているみたいだったけれど、
「まことくんの好きなほうでいいよ。ポチカ、どっちも食べたことないし」
「僕もないよ。――けど」
食べてもいいのかな、という言葉を真琴は飲み込んだ。午前中に見た鹿の骨の印象が強く残っている。もうイワナは動かなくなっているし、川へ戻すわけにもいかない。
「お母さんにどっちが美味しいか聞いてみよう?」
ほほえんでポチカがいった。
「うん」
真琴は自分がはっきりしない何かを考えているような気もちで答えた。お母さんは丸のままの魚を触るのが苦手だけれど、大丈夫だろうか。
坂を登り切って広場に出ると、野原にはもう真琴たちのブルーシートはなくて、お父さんもお母さんもテントに戻ってしまっていた。遠くに別の家族がいるようだけれど、それ以外には誰もいない。夕陽で芝生や木々に陰影が付いたのもあって、いやに広々とした場所に感じられた。
真琴とポチカがテントへ戻ると、お父さんとお母さんが金属の大きなカゴのなかに薪を入れて、キャンプファイヤーの準備をしていた。近くの森から取ってきた木で、キャンプ場の人が事前に干して乾かしてくれたものを利用できることになっていたのだ。
「ちょっと大きいの頼みすぎたか? 温暖化に貢献しちゃう」
「車のほうがそうでしょ」
お父さんとお母さんは普通に話をしているみたいだ。声の感じからしても、仲直りしたのかもしれない。
「あ、来た来た。――それ何?」
お母さんがイワナの入った葉っぱを見ていった。
「イワナです、川で釣ってきました。いっぱい魚がいました」
「え、すごい! ――どうやって? 入って捕まえたの?」
驚いた声を出して、お母さんは真琴たちのそばへ寄ってきた。お父さんはその様子をちらりと見て、薪を詰める作業を続けた。
「釣り釣り。下に他のお家が来てて、釣る道具とか貸してもらった」
真琴は帽子を取って、片方の手にパタパタとかぶせながらいった。お母さんは感心したように、
「へえ、すごいじゃん、知らないお家の人とすぐ仲良くできたんだね。えらい」
「ていうか、まあポチカがね」
ポチカがあの父親さんたちに声を掛けに行ってくれたので、真琴も初めて釣りを体験することができたのだ。真琴ひとりだったら、たぶん緊張してしまっていただろう。
「焼くと美味しいっていってました。塩焼き」
「あれ、やっぱポチカ塩焼きがいいの」
真琴が笑うと、ポチカもにっこりしてうなずいた。
「なんかずいぶん通だなあ。お父さんもパーキングとかで買って食べたことしかない、まるまる塩焼きなんて」
お父さんが作業を終えて、話に入ってきた。
「一匹だけ? じゃあ昼に使った串で刺して、キャンプファイヤーのとき焼いてみるか、こう火の脇で地面に、雰囲気出して」
「それいいね」
その場面を想像して、真琴は楽しみになった。
「あれ準備できたから、夜食べたらやろう。雨も降らないらしいからよかった」
首で薪の詰まったカゴを指して、お父さんが笑った。するとお母さんがその横にいくつも残った薪を見て、
「そっちに置いてあるの何?」
「入り切らなかったから。後で焼けてきたら、足せばいいかなと思って」
「一回で入りきらないの? そんなことあるかなぁ。ここの人もちょうどいいくらいの分量を用意してくれると思うけど」
「長く楽しみたい人もいるからなんじゃないの?」
お父さんの返事に、お母さんは「ふーん」と納得するつもりのない声で答えた。やっぱりまだくすぶっているみたいだ。
ポチカが残った薪に近寄って、欠片になっているものをひとつ抜き出すと、その上に葉っぱに包んだイワナを置いた。
「ここに置いていいですか」
「うん、――あ、やっぱり大きいね。うわ、目が合っちゃった」
お母さんはポチカと一緒に葉っぱを少し開くと、首だけ離すように引いていった。それを見て、お父さんは「もう死んでるよな」と真琴につぶやいた。真琴は、
「夜ご飯は?」
「ロッジに頼んである。あっちでレストランになってるとこがあるから。そろそろ行くか、ちょっと遅れたかもしれないよ」
アウトドア用の文字が光る腕時計を確認して、お父さんはテントのなかへ入った。「あれどこだっけー? 鞄ー」とお母さんに呼びかけると、お母さんも面倒そうな顔をしつつテントへ入って何かお父さんと話している。
ポチカはもう一度丁寧にイワナを葉っぱで包んでから、真琴にいった。
「まことくん、あの日記帳とエンピツある?」
「ん? 何か書くの?」
「いまはまだいいけど、後で使いたいかも」
真琴はうなずいた。
「すぐ分かるとこに入れてあるよ」
ポチカはにこっとすると「ご飯どんなのかなー」といいながら身体をゆすっていた。だんだんと辺りも暗くなってきて、昼間は目立たなかったキャンプ場のロッジの窓明かりが、駐車場の近くに見えた。
お父さんとお母さんが話す声がテントから漏れているけれど、それ以外はほとんど音がしなくなった。虫も鳴くのを休むタイミングなのだろうか。夜の空気で湿った草や土の香りが心地よい。
夕食はキャンプ場とは思えないくらい本格的なレストラン風のものだった。きちんとした格好のウエイターさんが少しずつお皿を運んできてくれて、その都度フォークやスプーンが交換された。
丸太を生かした木造のロッジで、天井も吹き抜けて屋根の裏側の木材が直接見える造りだった。キャンプ場自体が空いていたこともあって、広い食堂をほとんど真琴たちが独占しているような感覚だった。
お父さんもお母さんも、もちろん真琴とポチカも慣れていなくて、料理の食べ方もぎこちなかったけれど、みんなで雰囲気を楽しむことができた。
「鹿肉? 確かに聞いたことあるなあ、――うん、全然臭くない」
「ヘビを食べる国もあるし、牛は絶対ダメな国もあるし、向こうから見たらこっちもけっこう変なもの食べてるように見えるのかな」
ウエイターさんおすすめのワインを注文して、お父さんもお母さんも心地よさそうに話していた。真琴とポチカはそれぞれ普段は目にしない果物のジュースを選んで、お互いに飲み比べた。
「もう明日帰るのか~、やっぱり楽しい時間はすぐ過ぎる」
「昼間からビール飲んでばっかりだからでしょ、酔っ払ってれば時間も速いよ」
お母さんがちょっととげのある調子でいった。
「たまにいいじゃん、いまワインだし~」
「またふざけ始める。毎回『たまに』っていうでしょ」
「なんでそんなに文句いうの。おれはおまえのいう通りにしてればいいっていうの?」
お父さんがドンとテーブルを叩いて、急激にヒートアップした。人が少ないので音が天井まで響いて、真琴はびくっとしたけれど、かえってどこか冷静になった。お母さんのことを「おまえ」と呼ぶのは、相当怒ったときだけだ。
「どう見たってそんなこといってないでしょ。たったいま私がいったこと、覚えてる? 酔っちゃって忘れた?」
「一体何なんだよ、ねちねち文句ばっかいって。何かいいたいことあるなら普段からいえよ!」
「いいたいことあるのはそっちじゃないの? すぐ大きな声出して!」
お父さんはワインをがぶりと飲んで、きつい目でお母さんを見た。何かいおうと口を動かしたけれど、言葉が出てこないようで視線をそらした。お母さんも優しくない目をして、フォークとナイフの音をさせて皿の肉を切って口へ運んだ。
「そうやってまた黙るから、私も何にも分かんないわ」
「黙ってるんじゃ――」
もう一度言い争いが始まりそうになったとき、調理場のほうでこちらを見ない風にしていたウエイターさんが「いらっしゃいませ」と明るく丁寧な声でいうのが聞こえた。
出入り口を見ると、さっきの父親さん家族だった。上着を着替えた渉と優が何か話している声がして、近づいてくるかと思ったけれど、ウエイターさんは真琴たちから少し離れた席へ案内した。
「すぐるくんたちだね」
ポチカも身体をひねって見ていて、真琴を振り返っていった。お父さんとお母さんも、新しく人が入ってきたのに気付いて口を閉じた。
ウエイターさんが父親さんたちの注文を聴いている声がロッジに響く間、真琴たちも自分の食事を進めた。注文を取り終えると、ウエイターさんは早足で調理場の奥へ消えていった。
「ちょっとトイレ行ってくる」
真琴は皿をきれいにして、ジュースをいくらか残しておいて席を立った。トイレのマークを探してきょろきょろすると、戻ってきたウエイターさんが「お手洗いはあちらですよ」と真琴にも丁寧な言葉づかいで教えてくれた。
トイレを済ませて出てくると、少し距離があったけれど優とちょうど目が合った。
「おいー、来てたのかー?」
「声でかい、しっ」
優が真琴に向かって手を挙げた。父親さんたちがみんなで真琴を見たので、軽くお辞儀をして応えた。そのまま通り過ぎるのも微妙な感じがして、真琴はちょっとテーブルに立ち寄った。
「きみも来てたんだね。――あちらがご両親?」
父親さんは真琴たちのテーブルのほうへ顔を向けた。お父さんとお母さんとポチカが何かを話しているみたいだけれど、こちらには気付かなかった。
「はい、すごい広いですね、ここ。あの魚は食べないんですか?」
「ほとんど放したよ。レストランもいいぞって聞いたから、こっちで。なんかメニューもすごいねえ」
渉と優がまだテーブルの上でメニューを開いていて、父親さんはそれを見ながら笑った。優があれこれと指さすので、渉は「そんなに食べらんないぞ」と制していた。
「ちょっと親御さんにご挨拶しておこうか、もう食事終えた?」
「いえ、いや、はいもう少しで終わりますけど、いまはちょっと……なんかケンカしてて」
「ああそうなんだ」
納得した顔で父親さんはうなずいた。
「あ、でも後でキャンプファイヤーやると思うので、もしよかったらそのとき」
「キャンプファイヤー、まじか!」優が目を輝かせた。
「へえ、あれ申し込んだの? 分かった、後で見させてもらうよ。場所は分かるだろうし」
真琴は手早くもう一度頭を下げて、自分の席へ戻った。背中で渉と優がキャンプファイヤーの話を続けていて「あんな小さい子でもできるんだな、おまえたちにもやらせてもよかったか」という父親さんの声も耳に入ってきた。
席へ戻る途中で窓の外を見ると、陽が沈み切ってほとんど真っ暗だった。ロッジのなかは暖色のライトで照らされているから、わずかに見えるキャンプ場の黒い影の上に反射する自分の姿や、周りの様子もオレンジ色だった。
窓に映っていると、すぐ近くのはずのお父さんやお母さん、ポチカが遠くにいるように見える。そう思ったけれど、よく考えると自分の姿も遠い。
「まこちゃん、遅かったね。お腹痛かった?」
真琴以外はみんなご飯を食べ終えていて、席へ戻った真琴にお母さんが手元の食器などを整理しながらいった。
「大丈夫、さっきの釣りの人がいたから、――あそこ」
「道具貸してくれた人?」
お父さんとお母さんは一緒に父親さんたちのほうを見て、ふんふんとうなずいた。ケンカはひと段落ついたらしい。
「じゃあ行くか、お父さんもトイレ行って、もう外も暗いしファイヤー始めるか?」
自分の小さなバッグを持ってお父さんが立ち上がると、お母さんもポチカも続いて席を立った。真琴も残しておいたジュースを一気飲みして、
「ポチカ、お父さんたちどうなったの?」
ポチカの後を追いかけてたずねると、
「まことくんのことを話してたら、ちょっと落ち着いたみたい」
にっこりしてポチカがいった。出入口でお母さんはお土産コーナーを眺めて、手作りの草履やこま、吹くと音が出て伸びるおもちゃなどを手に取っていた。プラスチックの長い刀もあった。
「まこちゃん、こういうの昔欲しがったねー。引っ越す前、一回整理したした」
「確かに」
真琴はいまもけっこう好きだけれど、この場でねだるのはやめておいた。ポチカも珍しそうにあれこれとおもちゃを触っている。
トイレから戻ってきたお父さんと合流して、ロッジを出た。出入口のドアに付けられた鐘がガランガランと鳴ると、ウエイターさんが「ありがとうございました」と声をかけてくれた。
薪はさっき準備ができたから、後はちょうどいい場所へ運んで火をつけるだけだった。少し雲が出てきているのか、空は暗くて星もあまり見えない。
「周りに何もないとこがいいな、山火事危ない」
「専用の場所があるんじゃないの? そういうの貸してくれる場所なんだし。何か聞いてないの?」
「いや、たぶんいってなかったけど」
薪を詰め込んだカゴを運びながら、お父さんとお母さんが話している。薪とカゴが擦れ合って、ガシガシという音がする。真琴とポチカは真っ黒な山の姿を見たり、夜になって目立つようになった渓流の音を聴いたりしつつ、後を付いていった。
テントから遠くない範囲で探し回ると、足元の草が途切れて土か砂が丸出しになっている場所があった。もしかすると前にもここでキャンプファイヤーをした人がいたのかもしれない。
「ここでいいか。あっと、ライター忘れた」
薪のカゴを降ろすと、お父さんはテントへ小走りで戻っていった。それを見送っていたポチカが、
「まことくん、あれ持ってきてほしい」
「ん? なに?」
「日記帳と、エンピツ」
真琴が訊き返すと、ポチカは近づいてささやくような声でいった。お母さんは風向きを見て、どう座るといいか考えているみたいだ。
「え、まあ分かった。取ってくるよ。――そういえば、あの魚は?」
「そうだった」
ポチカは忘れていたという顔をして笑った。
「お母さん、さっきの魚取ってくるね。串とかある?」
「そっか、そうだね。網とかグリルとかと一緒にしてあるよ。分かんなかったらお父さんに探してもらって」
ポチカも行くかどうか目でたずねると、ポチカは小さく首を振ったので、真琴はひとりでテントへ走った。走りながら振り返ると、暗かったけれど、ポチカがお母さんに何か話しかけているように見えた。
薪を運んでくるとき、イワナを乗っけた欠片をどこへやったか、真琴はちゃんと確認していなかった。動物が取って行っていないかも少し心配だ。
真琴たちのテントのひとつが内側からぼんやりと光っていた。ときおり光が揺れるのは、お父さんの身体が吊り下げたランタンにぶつかっているのかもしれない。
「お父さん、魚刺す串ある? あとライトも貸して」
テントの入り口を持ち上げると、お父さんが大きなボストンバッグからたくさんものを取り出していた。テントのなかが半分ごちゃごちゃだ。
「真琴。どうした?」
「魚持ってくの忘れてて。――何してんの」
「ちょっと寒くないか? 羽織るものあったほうがいいかと思ってさ。これ真琴、お母さんの、ポチカ君もこれで大丈夫か」
みんなの分のウインドブレーカーを脇に寄せて、お父さんは周りのものをまたボストンバッグに片付け始めた。
「串が入ってる箱分かる? お昼に使ったやつ」
「ん~?」
足の踏み場がなくて中に入れないので、真琴は外からのぞき込んだままでいった。お父さんは変な形に出っ張ったボストンバッグをどうにか閉じると、
「たぶんここじゃないか、あった。一本でいいよな。けど魚持って行かれてるんじゃないか?」
「そう、それを僕も思った」
真琴はお父さんが差し出す串をつまんで受け取った。受け取ったのと同時に日記帳と刻のエンピツのことも思い出して、真琴はテントの杭の脇にあったライトを持って隣のテントに入った。
お父さんとお母さん用のテントより小さめだけれど、ポチカと二人で寝るには十分な広さだ。ライトで照らしながら真琴のリュックサックのミニポケットを開いて、日記帳を取り出すと、その下になっていた“刻のエンピツ”はケースの中でうっすらと光っていた。
折れてしまわないよう日記帳の間に刻のエンピツを挟んで、テントの外のスツールに置いた。後はイワナを探すだけだ。
「さっきの魚どこ行ったか分かる?」
お父さんが背中向きでテントから出てくるところだったので、真琴は訊いてみた。お父さんは両手に服を抱えたまま、残った薪がある辺りをあごで指した。
「えー分かんないぞ。その辺じゃないの」
「だよね、ここらだと思うんだけど……」
ライトで照らしてみても、切り口が白くささくれだった薪しか見当たらない。集中的な光の下で見ると、周辺に生えている草も輪郭がくっきりと目立っている。
お父さんが薪を詰め込んでいたところや、テントの周りをぐるりと探してみたけれど、ちょうどイワナが乗っかるような破片は見つからなかった。
「ホントに食べられちゃったのかな、動物に」
ひとりごとのように真琴がいうと、
「ごちそうだもんな。普通自分で取りに行かなきゃいけないのに、わざわざ置いてあるんだから、そんなこともあるよ」
「もうちょっと探す」
気楽にお父さんはいうけれど、真琴はこのままにしておきたくなくてライトを握り直した。光線が上を向いてテントの横の木を下から照らすと、広がる枝が真琴のほうに迫っているように見えた。
「いいけど、真琴が来たら火つけるから、なかったら諦めなよ。暗いし」
「お父さん、今日楽しい?」
自分でも思いもよらず、真琴はいった。お父さんは歩き出そうとしていた足を止めて「どうして?」と控えめにした声で答えた。
「お母さんのことか? ケンカなんてよくあるじゃん、真琴も見てるだろう。なんてことない」
「でも――」
手元でライトを動かすと、光があちこちに当たって、周りが明るくなったり暗くなったりする。光線に小さな虫やほこりが照らされていて、風のせいか光のせいか、ゆらゆらと揺れている。
「魚いいのか? いや、真琴これ着な。寒いよ」
ウインドブレーカーをひとつ差し出して、お父さんはほほえんだ。真琴はうなずいて受け取ったけれど、お父さんがどう考えているのか分からなかった。
お父さんは「よし」といって服を抱え直すと、お母さんたちのところへ戻っていった。その背中にライトを向けたら、お父さんはぴょん、と小さくジャンプして反応してくれた。
ひとりになって、急に川の音が耳に入ってきたり、木が湿った甘いような匂いが感じられたりした。遠くで夜に鳴く鳥の声がする。明かりのついたロッジからも、人が活動している雰囲気は伝わってきているけれど、真琴のいる場所はとても静かだった。
もう一度注意深く探してみても、やっぱりイワナはいない。元気になって川まで跳ねていったのかとも思ったけれど、さすがにそれはなさそうだ。
重ねてある薪をずらしてみると、その裏から小さなバッタが飛び出してライトに当たってきて、真琴はびっくりした。そういえば虫の声もさっきからずっと響いている。学校でも虫取りはよくやるのに、ここにいる虫たちはどこか力強く思えて、こちらのほうが圧倒されそうだった。
「無理かなー」
探す範囲を広げようともしたけれど、どの辺りまで見当を付ければよいのか分からず真琴は困ってしまった。諦めたくはないので、完全に直感に任せて近くを歩いてみた。
ライトを水平に構えてなるべく広い範囲を照らせるようにしていると、テントから山側の方向に白いものが落ちているのを見つけた。真琴が気付くと同時に、そのすぐ横で何かがさっと振り向いて、二つの水晶のようなものが気配を持って光を反射した。
身体が一瞬固まって、動物の眼だと分かったときには、すでにその姿はなくなっていた。
無意識にちょっと身を低くして白いものに近づくと、ポチカがイワナを置いた薪の欠片だった。そばに葉っぱから飛び出たイワナが落ちている。
「食べられてる」
ライトの光でイワナの身体も白く光っている。お腹の後ろの部分をかじられたみたいで、ちぎれてはいないけれど、くっきりと歯の痕が残っていた。
真琴は不思議さと怖さのようなものを同時に感じた。このままにしておいたほうがいいだろうか。それともポチカのところへ持っていこうか。草の上に横たわるイワナの目を見ていると、さっきの動物の二つの眼が思い出される。
自分やポチカが川から釣り上げなければ、このイワナはここにはいなかった。それも考えると、やっぱりあの父親さんがいうようにきちんと食べてあげるべきかもしれない。
お腹に触らないようにして真琴はイワナを葉っぱに包み直した。テントの前のスツールに戻り、日記帳なども脇に抱えて、キャンプファイヤーのところへ向かった。