『刻のエンピツと木の精ポチカ3』第三話を公開します☆ | 札幌 家庭教師・物語作家わたなべ~小どもたちへの手紙~

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こんにちは、お越しくださってありがとうございます爆  笑
 
少年真琴と不思議なポチカの物語、
『刻のエンピツと木の精ポチカ』、第三話を公開いたします☆
 
→第一話はコチラ
 
→第二話はコチラです!
 
 
木の中から現れて、真琴のお家に泊まったポチカが
一緒に学校へ行くことになりそうですが――。
 
 
お時間のあるときにでも、
よろしければどうぞお楽しみくださいませ(*^^*)
 
 
 

刻のエンピツと木の精ポチカ3

 
***


「ポチカ、ポチカ」

 また声が響いてくる。
 暖かな場所から飛び出し、関わりが生まれ、展開するのか。

 誰なのだろうか、自分でも定かではないけれど、いまもお腹の奥に熱を感じ続けている。引き出されてくるもの、流れ出すもの。

 もっと大きく、という気もちと、その反対の不安。

 目にするもの、耳にするもの、手にするもの。それらが変化させるかもしれない、押しとどめるかもしれない。その用意ができているだろうか。

 もはや以前の姿を思い出せない。けれど、怖れてはいない。支えるものも分からないが、心は晴れている。

 向けられたものが巡り、ここへ戻ってくるのか。

「ポチカ、ポチカ、朝だよ、ポチカ」

 こちらから表すものと、向けられるもの。いま、実際に触れている。これまではただ感じるだけだったものを。

「ポチカ、ポチカ」

 耳になじんだ名前とともに、どこまで行けるだろうか。


***


 真琴は早めに目が覚めたので、ベッドのなかでぼんやりしながら、明るくなった窓の外を眺めた。眠っている間も部屋に月の光が入っていたのだろうけれど、起きたときの感じは普段と変わらない。

 白く青い空を背景にして、電線にとまっている鳥が何羽か見える。ほーほー、という鳴き声も聞こえてくる。一羽が飛び立って、他の一羽がすぐそばにやってきて、一緒に何かしているようだ。

 起き上がって横を見ると、ポチカが昨日の夜と変わらない姿勢で眠っている。あまり寝返りを打たないのかもしれない。

 早めといっても、もう一度寝られる時間ではなかった。今日、真琴が学校に行っている間のこととか、考えなければならないこともあると思ったので、真琴はポチカを起こすことにした。

「ポチカ、ポチカ、朝だよ」

 肩に手を当てて揺すってみる。思っていたよりもしっかりとした骨格だ。ポチカは「ん~」といいながら、身体をもぞもぞと動かした。

「朝だよ、元気に起きよう」

 昔お母さんに起こしてもらっていたときによく聞いていた言葉を、真琴自身も使っていることに気づいた。眠っている誰かを起こす立場になると、こういいたくなるのだろうか。

 ポチカは布団から両手を出して伸びをしてから「おはよう」と真琴にいった。まだ半分しか目が開いていない。

「起こしちゃってごめんね、よく寝れた?」

「うん」

 身体を起こしながら、ポチカは答えた。もう一度伸びをして、深く息を吐き出すと、真琴に向かってにっこりした。一階からはお母さんが朝ご飯の準備をする音が聞こえてくる。

 真琴は自分のベッドを整えてから、ポチカの寝ていた布団をたたんだ。ポチカはその間、まだぼんやりしていて、布団の敷いてあった場所の横で座っていた。

「まことくんは、元気?」

 続いて服を着替えようとしていた真琴に、ポチカがふんわりとした声でいった。

「うん、大丈夫」

 誰かと一緒に朝起きるのは久しぶりだった。ぬいだパジャマもきれいに置いて、真琴は用意しておいた服を手に取る。あったかくなってきているから、半袖で大丈夫だろう。

「今日、ポチカどうする」

 袖を通しながら真琴がたずねると、ポチカはきょとんとした顔をした。

「学校、僕行かなきゃなんだけど、その間ポチカはどうするかなって」

 昨日の夜、ポチカは学校に興味をもっていたから、たぶん一緒に行きたがるだろう。真琴もできるならそうしたかった。でも、みんなにどう説明したらいいか分からないし、ポチカが珍しがられて、変にいじられるかもしれないのもいやだった。

 ポチカは真琴が着替え終わるのを待ってから「ポチカも行きたいなあ」とひとりごとのようにいった。

「うん」

 真琴も小さく答えて、机の上の「エンピツ」に目をやった。山田には早く教えてあげたいし、やっぱりポチカにも学校を見せてあげたい。

「お父さんとお母さんに訊いてみるね、ポチカも行っていいかどうか」

「ありがとう」

 ポチカは瞳を輝かせて、ぱっと立ち上がった。うれしそうに身体を揺らしている。

 真琴が窓を開けると、電線にとまっていた鳥が羽音をさせて飛んでいった。ちょっと湿気を含んだ風が部屋に入ってきて、何か暖かい香りがした。

「気もちいいね」

 ポチカもうなずいて、深呼吸をした。目の前の道を自転車が走っていった。それから近所の人がサンダル履きで歩いてくる音がする。

 窓から見下ろせる位置のごみステーションには、ぱんぱんの袋が何個も網を掛けて置いてあって、カラスがぴょんぴょんとその周りをまわっていた。朝陽が当たって、羽が光っている。

「お腹すいた?」

 ポチカのほうを向いて真琴がいうと、ポチカもまっすぐ真琴を見ていった。

「うん、すごく」

 その真剣さが面白くて、二人とも笑った。笑い声が通りに響いて、カラスも驚いて飛び上がりそうになっていた。

「下行こうか」

 窓を閉じながら真琴がいうと、ポチカは「うん」と元気よく答えた。部屋を出ようとすると、廊下をお父さんが歩いていく音が聞こえた。
 

「今朝は早起きだったな」

 朝ご飯を食べながらお父さんがいった。

「なんか、早く起きちゃった」

 真琴はポチカを学校に連れていくのをどうやって説明しようか考えていて、返事も上の空だった。朝ご飯のメニューも、いつものようにおいしいな、とだけ感じていた。

 隣ではポチカがフォークを使って、カツカツとお皿をつついている。ソーセージをなかなか刺せないようで、しばらくして一度あきらめて、スープをすすった。

「ポチカも学校行けるかな」

 考えていたタイミングと違うけれど、真琴はいった。お父さんとお母さんが一瞬、真琴のことを見て、それぞれに違う反応をした。

「関係ない人が行っちゃだめじゃないか?」

 とお父さんは首をかしげて、

「そっか、ポチカちゃんも学校見たいもんね」

 とお母さんは笑顔でうなずいた。

 ほとんど同時に正反対の答えが返ってきたので、真琴も困ってしまった。特に見るでもなしにつけているテレビから、星座占いの声が聞こえてくる。

 お父さんとお母さんの意見が食い違うのはよくあることで、いつもはどちらかといえばお母さんの意見が通ることが多い。ポチカについては難しい問題だと思ったのか、お父さんはさらに続けた。

「まだポチカくんのお家とも連絡が取れてないし、学校に行ったって、先生も困るんじゃないか」

「そうかもしれないけど、ポチカちゃんだってまこちゃんと一緒にいたいでしょ」

 お母さんがポチカにたずねるような口ぶりでいった。ポチカはソーセージを口に運び終えて、たくさん噛んで食べている。自分の話だと気がついて、急いで飲み込んだ。

「はい、いたいです」

 真琴はポチカがそういってくれてうれしかったし、一緒に学校に行けそうでワクワクしてきた。でも考えてみると、授業のときとか、ミユ先生にどう説明しようかとか、いろいろ心配も浮かんできた。ひとまず牛乳を飲む。

「もし一緒に行くとしても、何か先生に伝えておいたほうがいいんじゃないか」

「何をー?」

 今度はお母さんがちょっと眉を寄せた。

「ポチカくんの家のこととか、なんで真琴と一緒にいるかとか」

「それ先生にいってどうなるの?」

 何だか不穏な気配がしなくもない。お父さんも察知して、ひと口コーヒーを飲んでから説明した。

「真琴の友達だっていっても、学校としてはすぐ授業を受けさせてあげるわけにもいかないと思うんだよなぁ」

「まこちゃんの友達なのは、ホントだもんね」

 お母さんはポチカのことが可愛くなってきたみたいで、ポチカに笑いかけた。ポチカもにっこりする。

「もう一枚パン食べる?」

「むしろ警察とか、あと、ほら児童相談所とかに連絡する話になりそうじゃないか」

「ポチカは迷子じゃないよ」

 本当はちゃんとした手続きが必要なのかもしれないけれど、絶対ポチカはそういう感じではないので、真琴も口を挟んだ。お父さんは「ふうん」と息をついた。

「だから、やっぱりしっかり準備しておくといいと思うんだ。いや、ウソをつくとかじゃなくて、誤解されないように」

「確かに、それはそうかもね」

 ポチカがお腹いっぱいらしいのを見て取って、お母さんはテーブルのお皿を自分の手元に集め始めた。真琴は最後の牛乳を飲み干して、お父さんもミニトマトを口に放り込んだ。

 テレビでは星座占いに続いて天気予報も終わり、新しくニュースが読み上げられていた。お風呂場のほうから、洗濯機がピーピーと作業終了を知らせている。

「あっと、時間」

 お父さんが急に慌てだして、音を立ててテーブルを離れた。テレビのそばの姿見の前でネクタイを締める。お母さんは慣れた手つきでみんなのお皿などをお盆に載せて、キッチンへ運んだ。

「ポチカくんのこと、ちゃんとしなきゃだぞー」

 目線をテレビの画面に向けたまま、お父さんがいった。

「ちゃんとって何? ってまこちゃん、いってやりなー」

 お母さんは台所から、笑いを含んだ声でお父さんに返事をする。いつものお父さんとお母さんの感じがする。真琴としては、ポチカのことがきっかけで問題が起きても困るので、安心した。

 ポチカは三人が話しているのをにこにこしながら見守りつつ、窓の外の庭を眺めたり、部屋に置いてあるものに目をやったりしていた。中でも壁にかけてある時計が気になったみたいで、じっと見つめている。

「あれ、なに」

「え、時計?」

 お父さんとお母さんがまだ何かいい合うのを聞き流しながら、真琴は答えた。

「あの動いてるの」

 ポチカが指さしているのはやっぱり時計だ。お父さんが出かけるはずの時間をちょっと過ぎていて、真琴が学校へ向かうには少し早い。

「あ、針のこと?」

「同じところをずっと回ってるよ」

 面白いものを発見したかのようにポチカはいった。真琴もじっくりと時計を見ることなんてあまりない。よく見ていると、確かに時計の針は同じところを回り続けているけれど、それって当たり前じゃないだろうか。

「何に使ってるの」

 ポチカはかなり不思議だという表情でいった。真琴もポチカがそんなに不思議がるのが珍しい気がして、笑って答えた。

「時間を測ってるんだよ」

 そういってみたものの、改めて考えると別に50メートル走のようにタイムを計測しているわけではない。時計は正確に時間を刻むけれど、それは真琴達の時間を測っているわけでもなくて、だんだん時間が経っていくのを表している。

「いま何時かとか、見てわかるでしょ」

 真琴が教えてあげるのを、ポチカはまじめに聞いていた。自分のなかで納得する部分もあったようで「そうなんだ」とほほえんだ。真琴は自分がうまく説明できている気がして、思いついたことをつけ加えた。

「あと、そうやって何時かとか分かるから、昨日の何時に何したとかもいえるし、いつどんな出来事があったかも伝えられるんだよ、歴史とかさ」

 こんなに物事を整理して話したのは久しぶりかもしれない。ポチカもしっかりと耳を傾けてくれて「なるほど」と相づちを打ってくれた。ポチカはそれ以上時計については何もいわなかった。

 お父さんは慌てたままスーツの上着をはおって、鞄をつかんで出かけていった。部屋を出ていく直前「何かあったら連絡しなよ」と真琴やお母さんに玄関から声をかけた。

「まこちゃん達も準備してねー。ポチカちゃん用に筆記用具、何か貸してあげたら」

 朝ご飯の片づけを終えたお母さんは、かごに洗濯物を入れて部屋に戻ってきた。シャツやズボンなどのしわを伸ばしながら、室内の物干し台に手際よくかけていく。

「大丈夫だと思うけど、ポチカちゃんのこと、まずは真琴がきちんとしてあげるんだよ」

「うん」

 ちょっととまどったけれど、真琴は強くうなずいた。お母さんは大事な話をするとき、まこちゃんではなく真琴と呼ぶのだ。

「もちろんポチカちゃんのお家の人と連絡を取ったりするのはお母さんたちも協力するけど、いまポチカちゃんと一緒にいるのは真琴だからね」

「ポチカは学校行くのでいいんだよね」

 真琴はいちおうポチカに確認した。ポチカは時計を眺めたあと、ぼんやりと考え事をしているようだった。真琴がたずねた声でふと我に返ったのか「うん」とにっこりした顔で答えた。

 それから三人で、学校に行ったらみんなにどう説明したらよいかを話し合った。でも、ちょうど収まりのよい伝え方が思い浮かばないまま、出発する時間になってしまった。

 お母さんの発案で、ポチカにも真琴が前に使っていたカバンを持たせて、ノートや筆箱も貸してあげて、なぜか家に二つある通学帽も使ってもらうことにした。帽子をかぶると、ポチカはさらに普通の小学生らしく見えた。

 真琴自身も忘れ物がないか、ランドセルの内側に貼り付けた時間割と持ち物を見比べた。大丈夫。ポチカと一緒に玄関で靴を履いて、

「行ってきまーす」

 ポチカと登校できるのがうれしくて、真琴の声も大きい。外へ出ると真っ白な太陽が遮るものなく輝いていて、目がまぶしかった。今朝より風が収まったみたい。ポチカの姿も何となくきらきらしている気がする。

 お母さんは玄関を出たところで「行ってらっしゃい」と二人にいって、真琴達が歩いていくのをしばらく手を振って見送ってくれた。
 
 

 真琴の家から学校へは、さほど時間がかからない。大きな通りの信号をいくつか渡ると広い畑にぶつかって、畑の脇を道なりに進めばもう校舎が見えてくる。

 その辺りまで来ると、畑には何かの作物の葉が青々として風になびいていた。小型のトラクターで作業を始めている農家の人もいる。その向こうに校舎があるので、角度によっては学校が草原に浮かんでいるようだった。

 見通しがいいから、真琴たち以外にもランドセルを背負って学校へと歩いている生徒の姿が見える。他の生徒を目にしたせいか、ポチカが速度を落として不安そうにいった。

「ポチカが行くと、いろいろ困るのかな」

「全然、そんなことないよ」

 家を出る前にお母さんにいわれたこともあって、真琴はあえて自信たっぷりにいった。

「もうポチカも普通の小学生にしか見えないよ」

「それはそうかも、しれないけど」

 うつむき気味でポチカは続ける。

「まことくんがいろいろ大変じゃないかなって」

「僕が?」

「先生とか、みんなにどう話そうか、考えてたでしょ」

 もちろん、そのことは真琴がしっかりと説明しようと思っている。遠くから遊びに来ているいとこだ、というのが一番ちょうどいい気がする。海外の学校に通っていることにすれば、もう長めの夏休みに入っていてもおかしくないはずだ。

「おう、真琴」

 いきなり後ろから声をかけられて、真琴とポチカはびっくりして立ち止まった。振り向くと、声の主の祐輔(ゆうすけ)がバタバタと走ってきた。

 祐輔は真琴がときおり一緒に野球をする仲間のひとりで、いまも放課後に使うバットとグローブをランドセルに挿している。バットが地面に平行になって幅を取っていて、横を通る車がよけて走っていった。

「ん、誰」

 ポチカを見て、祐輔はいった。じろじろと見るので、ポチカはどういう顔をしたらよいか分からない様子で真琴に近寄った。

「あぁ、ちょっと知り合い」

 真琴は無意識に、何でもないふうの口調で答えた。祐輔は疑わしそうな表情もしたけれど、もともと自分の興味のないことには興味がないタイプだから「へー」と気のない返事をしただけで、

「おまえ、今日は野球来れるの? 昨日いなかったじゃん」

「分からん」

 野球仲間と話すときは、周りにつられて真琴の言葉づかいも激しめになる。真琴の返事を聞いて、祐輔はつまらなそうに「あっそ」といった。

 そうこうするうちに、祐輔はまた別の友人がいるのを見つけて、そちらへ駆けていった。「よう」と呼びかける声が畑を過ぎる風に流れていく。

「まことくん」

 ポチカが真琴の顔を見た。

 祐輔のようなやつならポチカのことも大丈夫だろうけれど、やっぱりクラスや学校の人達に説明するのは大変かもしれない。分かってもらえないことはないと思う。でも、いつも目にするものと違って珍しい存在なのだ、という点はどうしても残りそうだ。

「まことくん」

 考え込んでしまった真琴に、ポチカが静かな口調でいった。

「ん、え?」

「ポチカ、いまはやめておくよ、一緒に行くの」

「どうして」

 真琴は首を振った。

「そんなこと、全然気にしなくていいんだって」

「うん、分かってる。けどね、まことくんも準備ができてないんじゃないかな、と思って」

「なんで。大丈夫、しっかりなんとかできるから」

 痛いところを突かれた気がして、真琴は少しむっとした。反対にポチカはにっこりしていった。

「もっとまことくんと一緒に何かしてから、ポチカも学校行きたいなって」

 つまり、まだ真琴と遊び足りないということだろうか。すごく仲良しになった気持ちでいるけれど、思えばポチカと会ったのは昨日の夜だし、真琴ももっとポチカのことを知りたいのは事実だ。

 同じ通学路を使う生徒もいるから、ちらほらと見知った顔が歩いていく。よく話す仲ではないにしても、相手も真琴だと分かるので、不思議そうに二人を眺めていった。

「うーん、じゃあポチカはどうするの? 学校の間」

「待ってる」

「でも今日普通に五時間だし、けっこう終わるの遅いけど」

 真琴の声は尻すぼみになった。ポチカをひとりで待たせておくのも心配だし、そんなことはないと分かっていつつ、そのままポチカがいなくなってしまうのではないかとも感じた。

「近くで待ってるよ、学校の」

 ポチカは笑顔で身体を揺らしながらいった。斜めにかけた鞄をぽんぽんと叩いて、自分のお腹の前で左右に動かしている。真琴は見るとはなしにポチカの鞄の動きを目で追った。

「それならまあ、それでもいいけど、どこがいいかなぁ」

 学校の周りは開けているから、隠れられるような場所は思い当たらない。近くの家に勝手に入ってしまってもよくないし、ずっとこの辺りをうろうろしているわけにもいかないだろう。

「昨日教えてくれた鉄棒は?」

「鉄棒? 校庭だよ、ずっとはいられないし、体育の授業とかでみんな出てくるし」

 夜寝る前に、学校ではどんな遊びをしているのかという話になって、ポチカに鉄棒のことも教えたのだった。ふと山田のことが思い浮かんだ。

「うん、ずっとはいないようにするから。まことくんが学校終わるとき、そこでまた会おう」

 ポチカはいつになく強くいった。

 それならどこにいるの、といいたかったけれど、だんだん周りを行く生徒や他の人たちが増えてきた。通学したり通勤したりの動きの中で、真琴とポチカだけが立ち止まっているので、目立ってしまう。

「分かった、じゃあ僕は学校行くね。終わったらすぐ鉄棒のとこ行くから。ポチカもいる場所ないかもしれないから、家に戻ってもいいからね」

 真琴もちょっと早口になって、家までの帰り道と、学校の校庭への入り方をポチカに説明した。裏門はあまり使われていないから、たぶんポチカがさっと入っても大丈夫だろう。

「うん」

 もう一度にっこりして、ポチカはうなずいた。

「それとまことくん、昨日のエンピツ借りてもいい?」

「いいけど、あ、でもどうかな」

 真琴はまず山田に見せるつもりだったので、少し迷った。でも、あとで鉄棒のところで合流するなら、ちょうどいいのかもしれない。真琴はランドセルから「エンピツ」を取り出してポチカに渡した。

 「エンピツ」は美しかった。朝の光を浴びて、端に数枚残っている葉が輝いている。気のせいだろうけれど、枝の表面も昨夜よりつるりとして見えた。

「ありがとう」

「じゃあ行くね。ポチカも気をつけてよ」

 念を押して、真琴はポチカから離れて学校のほうへ向かった。学年の違う生徒が何人か近くを歩いていて、今日の授業のことらしい話し声が耳に入ってくる。

 首だけ振り返ると、ポチカはちょっと間を置いてから追いかけようとしているようで、まだ動かずに真琴を見ていた。真琴と目線が合うと、両手で大きく手を振った。真琴も軽く片手を挙げて応えた。

 何度か振り返りながら歩くうち、真琴とポチカの間に軽トラックが停まってポチカの姿が見えなくなった。頭にタオルを巻いた作業着の人が降りて、一緒に乗っていた人と何か話している。

 ポチカのことが気になったけれど、真琴は走って校門を目指した。
 

「平清盛ってどんなひとー」

 ミユ先生は黒板に大きく「平清盛」と書くと、チョークを高く掲げていった。歴史の授業をするとき、自分でミニコーナーを作っているのだ。たいてい歴史好きな同級生が手を挙げて、代表的な出来事を答えると、ミユ先生がそれに続けて説明してくれる形になっている。

 四時間目の授業で次が給食だから、みんなもちょっとだけ集中できなくなっていて、いつもならすぐ手を挙げる同級生も沈黙したままだ。真琴はポチカのことが気になって、午前の授業は全部集中できなかった。

 今日は珍しく校庭で体育の授業がないみたいだ。開けてある窓からも声が聞こえてこない。たまに鳥の鳴き声がするくらいで、用務員さんが時々作業のために校庭を歩く姿が見えるけれど、特に変わった様子はない。

 ポチカはもう鉄棒のところにいるのだろうか。さすがに一時間目からずっといるはずもないか。それなら、どこで過ごしているのだろう。

 考えることが尽きなくて、真琴にとってミユ先生の声はほとんどお経だった。

「ねえ」

 後ろの席からささやく声がして、細長いもので背中をつつかれた。きっと定規だ。真琴は首をかしげてみせる。

「はい」

 と山田が真琴の肩越しに紙を差し出した。ミユ先生は顔に教科書を近づけて読み上げている。

 山田の寄越した紙には「国語どこまで進んだ?」と書いてあった。今日、山田はとても久しぶりに遅刻して、三時間目の前半くらいに登校してきたのだ。

 真琴も半分以上心ここにあらずだったので、どこまで進んだかはっきりと憶えていない。自分で手を動かしたのは、漢字書き取りの練習プリントをやったときくらいだった。

「漢字やった、難しいやつ」と余白に書いて、山田に返すべく、紙を持った片方の手を後ろへ回した。でも山田がなかなか受け取らなかったので、真琴は肩がつりそうになった。

「おい」

 真琴はかすかに横を向いていった。隣の席の女子が顔をしかめたけれど、真琴も何でもないふりをする。

「あ、ごめん」

 山田が真琴の手から紙を引き抜いた。

「いたっ!」

 真琴はとっさに手を引っ込めた。紙の端で手のひらが少し切れてしまったみたいで、赤い筋ができてジンジンする。

「真琴くん、どうしたの」

 ミユ先生が教科書から目を外して、真琴のことを鋭く見た。他の生徒たちも一斉に真琴のほうを向く。

「全然、なんでもないです」

 真琴は手を握り締めて、笑って答えた。

 ミユ先生はざっと真琴とその周りの生徒の様子を確認して、変わったところはないと思ったのか「そうですか」とだけいって教科書に戻った。「年号だけ覚えるんじゃなくて、歴史の背景も一緒に知っておくことが大事ですよー」

 くすくす笑う山田の雰囲気が背中に伝わってくる。真琴はまっさらなノートのページをちぎって「笑うなよ」と書いて小さく折り、後ろの席に投げた。

 山田が笑うのはいったん止まった。でも、またすぐにくすくすしだして、真琴の背中をツンツンとつつく。

「ありがとう」

 山田に感謝されるのも珍しかった。遅刻の件もそうだけれど、今日はちょっと様子が違うのかもしれない。もう一枚渡してきた紙を見ると、やはり「放課後、鉄棒のとこで」と書いてあった。最後に「よろしく!」と付け加えられている。

 相変わらずミユ先生は教科書とにらめっこしていて、同級生たちはおのおの思うように過ごしている。下敷きで顔を仰いでいたり、うつらうつらしていたり。真琴が教えてあげた机上バトルをやっている子もいる。

 ふと思い出して、真琴は山田からもらったメモ用紙を取り出した。何となく持ってきておこうと思って、ランドセルに入れておいたのだ。束ねてあるところから切り取って、

「すごいの見つけたぞ。ぜったいおどろく!」

 と書いて山田に渡した。後ろを向かなくても、山田が興奮しているのが分かる。カツカツカツと返事を書く音がしている。

 返事が来るまでの間、真琴は筆箱をいじった。新しく買ってもらったシャープペンは、たくさん使おうとしすぎてすぐ壊れてしまった。消しゴムは遊び用も含めていくつかあるし、奥のほうに何か黒ずんだ付せんも入っている。

 黒板の上についている時計を見ると、授業の終わりまで五分ほどだ。ポチカのこともあって、朝からなかなか時間が進まない気もしていたけれど、ようやく給食だ。

「はい」

 と真琴の肩に紙切れが触れた。受け取ると、山田は小さな声で「紙、ありがとう」といった。よく分からなかったけれど、首を動かして反応してみせて、真琴は紙切れを読んだ。

「きっとエンピツのことだよね? 本当に見つけたの? ぜったい後で見せてね。やっぱり真琴君に頼んで正解だった。本当にありがとう。今日のデザートあげる」

 これまで抱いていた山田のイメージと違う言葉が並んでいる。真琴君なんて呼ばれるとは思いもよらなくて、どこか恥ずかしかった。デザートをもらえるのはうれしい。

 でも「エンピツ」はポチカに渡したままだ。山田に見せるためには、ポチカを紹介する必要がある。

「それじゃあ、次の授業では単元テストをやりますよー。今日やったところを確認しておいてね」

 ミユ先生が教科書を置いて教卓に手をつき、身体を支えながらいった。社会の授業は先生が説明する内容が多くて、毎回ちょっと疲れた感じになる。

 廊下から他の教室の生徒たちの声が聞こえてきた。早めに授業が終わったクラスは、給食の準備のために手洗いをしたり、配膳台を動かしたりしているようだ。

「はい、じゃあここまでにして、給食だねー。いつもいってるけど、食材を生産してくれた人、調理してくれた人、そして給食係のみんなに感謝しましょうー」

 何か勘違いしているらしい。こんなことをいわれたのは、真琴の記憶が正しければ今日が初めてだ。社会の授業だから、ミユ先生も思いついたのだろうか。

 ぱらぱらとみんなが席を立ち始めた。授業の始まりと終わりの境目がはっきりしないのもミユ先生の特徴だった。先生は黒板の横にある自分の机に戻って、ふうとひと息ついている。

 真琴も教科書やノートを机の中にしまっていると、さっきからカレーのにおいがしていることに気がついた。大好物なので楽しみなのだけれど、ポチカにも食べさせてあげたいなと思った。

 手を洗いに行こうと席を立つと、山田の姿はもうどこかへ消えていた。