こんにちは、お越しくださってありがとうございます!
わたなべと申します☆
今回から、記事のレイアウトなどをいつも同じようにするのではなく、
かなり簡易的な場合もあるようにしたいと思います(^^)/
(それほど手間のかかる作業ではないのですが、
どうにも記事の準備がおっくうになるときもありまして笑)
今日はときおり耳にする
「褒められるところを見つけて褒める」
といったことについて少しだけ書いてみます
(記事の長さも短めで、フットワーク軽くいきたいです)
誰かが何かをしたとき、
褒められる部分を褒めて成長を促そう、というようなことだと思うのですが、
改めて考えてみると、褒めることのできない部分なんてないのではないでしょうか。
例えばグラスを落として割ってしまった人がいたとき、
グラスを割ったことはよろしくないけれど、
すぐに破片を拾って掃除機をかけた点は評価できる、とか。
しかしむしろ、最初にグラスを手にして何か行動をしていたことも、
その人自身の表れです。
仮にわざと割ったとしても、それもその人自身の表れですね。
上の例で、不注意でグラスを割った人の回収行為はいわゆる良い行動だなぁ、と思えそうですが、
わざとグラスを割った人が、直後、きちんと片づけも進めたとなるといかがでしょう?
最初から割るなよ、と感じますね。
あるいは、何か別の意図があっただろうかという推測したくなります。
つまり、どちらの人についても、グラスを割る以前からその人自身を表現していました。
それを後から切り分けて、きみのここは良いけど、ここはダメ、と言っている感じがしませんか
なんというか、最終的には初めからつながっていて、
その人が表れている、そのこと自体は本来的に認められるべき、
尊重されるべきではないかと思うのです(^^♪
仮に「正しくない」行為をするとしても。
もちろん犯罪などは困りますけれど、そういう方向へ進む人というのは、
自分自身の「表れ」が自分や他人によって認められてこなかった人なのではないかと強く感じます。
ですので、あなたもきみも、まずは自分が何をどう感じて、
どうしたいのか、どう行動したのかしなかったのか、なぜなのか、など、
自分自身でよくよく感じ取ってあげてくださいね☆
……と、このような形も今後の記事には含んでいきたいと思います~
お読みくださってありがとうございました!!
わたなべ