こんにちは。
今日もお越しくださってありがとうございます(^^♪
札幌で、お子さんたちがのびのび学ぶのをサポートする
プロ家庭教師・メンター(個人契約形態です)として活動させていただいています
わたなべと申します
(→詳しいプロフィール・考え方はこちらへ)
前回から複数回に分ける予定で、
教師、あるいは教える立場にある側のこころの持ちようは
どんなものなのか、検討を始めています。
(少し間が空いてしまい申し訳ありません)
そのなかで、僕たちはお子さんたちに対して
さまざまな気持ち、感情を抱くけれども、
実はそれは僕たち自身に跳ね返ってくるのではないか、
あるいは、むしろ僕たちの自分自身への感じ方を、
小どもたちに投影しているのではないだろうかというお話になりました
このことは、暴力を受けて育った親が、
そうしたくなくても、どうしても自分の子どもを暴力でしつけてしまうとか、
アルコール依存症の父親をもった女性が、
なぜか同じようにお酒におぼれる男性をパートナーに選んでしまうとか、
そういうあたりとも関係がある気がします。
(これは精神医学の分野で研究がなされています。)
これらの例もヒントにして考えてみると、
僕たちが小どもたちの成長、教育をサポートしていくうえでは、
・自分自身がいかに育ってきたのか
・どういった教育を施されてきたのか
・自分の育った家庭、周囲の環境はどのようなものだったか
などなどをふり返ることがとても重要になりそうではないでしょうか(^^♪
僕たち自身、いろいろな条件のもとに成長し、大きくなってきたわけですから、
上に挙げた以外にもたくさん要素は出てくると思います。
暴力を受けて育ったひとが親になった場合、
という例で少し具体的に検討すると、
(もちろん誇張して書きますが)そういうひとは、お子さんが言うことを聞かないと、
手が出るまでのハードルがおそらく低いでしょう。
そのひとが親の言うことを聞かなかったとき
張り倒されたから(←これがひとつの教育)、
そのひとの子どもが言うことを聞かなければ
張り倒します(教育のとおり)。
そんな単純な話ではないだろう! というお叱りの声も聞こえてきそうです。
しかし、本当に僕たちが自分自身をよくよく見つめるならば、
いかに自分がコピーになっているか、見極めることができます。
親のコピーであることはすごく多いですし、
友人、恋人、先生、アイドル、その他のコピーであることがかなりあります。
コピーである部分をもっていることは、同じ「人間」としてこの世界に生きている以上、
ある意味で当然のことですよね。
そもそもお互いに言葉で意思疎通ができるのも、
その言語についてお互いの中に同じ認識、知識があるからです。
(他方、異なる言語の話者同士が『電話で』話しても、一切意味がわからないとか。)
ですので、やはり、コピーの良し悪しではなく、
自分が何をコピー、あるいは学び取って、自分のものとしているのか、
それを自然とお子さんたちに対して発動しているのか、
これを自覚することが大切だと思います
どこへ向かうのか難しいところですが、
この流れで次回も検討を進めてみましょう。
お読みくださってありがとうございました!
わたなべ
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