図形と角度と人生と | 札幌 家庭教師・物語作家わたなべ~小どもたちへの手紙~

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心の深い部分に根ざした勉強法や、発想法などを提案しています
(現在は何気ない日常をアップしています)

こんにちは。

今日もお仕事モードです。

 

 

札幌でプロ家庭教師・メンターとして活動させていただいています

わたなべと申しますニコニコ

 

 

(お仕事モードとはいえ、いま来てくれているきみたちだって

もちろん読んでいいんですよ)

 

 

 

最近、小どもたちがテスト前ということもあり、

テスト勉強のお手伝いをすることが多いです。

 

 

 

この時期、特に中学生の数学は、

図形を扱っている学校が多いのですが、

みなさん角度の計算や図形の読み取りに苦労しています。

 

 

 

平行線と錯角とか、同位角とか、

三角形の内角の合計はいくつとか、四角形とか、五角形とか、n角形とか、

 

 

 

どの三角形とどの三角形が合同、相似で、

だからこの辺とあの辺で長さが同じだとか、長さの比が何対何だとか。

それを証明せよ、という問題とか。

 

 

 

このあたりの分野は、計算系とちがって

さらに実生活と距離が遠いような気がするのか

小どもたちもなじみづらい場合があるようです。

 

 

 

逆に、イメージ力のあるひとは、

かなりサクサクと進むことができたりもしますから、

なかなか不思議な分野です。

 

 

 

(きみは図形得意ですか??)

 

 

 

 

 

 

 

ただ、ここまで自分で書いていて感じたのですが、

図形分野はものごとに対する見方の幅を広げる学習なのかもしれません。

 

 

 

文部科学省の学習指導要領(文科省HPに飛びます)をみると、

確かに「日常生活で数学的な考え方を活用する力を養う」

という趣旨が書いてあります。

でも、これはあくまで図形の能力を実生活で使う、

という側面に限定しているようにも読めました。

 

 

 

むしろ、先ほどの三角形の内角の合計とか、

辺と辺の長さや比とかって、僕たちの人生そのものではないでしょうか。

 

 

 

自分の生活にはこの要素やあの要素があって、

それらを集合して自分が生きている。

(野球が好きで、カレーが好きで、身長がいくつで……)

 

 

 

その要素は、彼の要素と対比するとこうで、

彼女の要素と対比するとこうで、

息子の要素と比べると同値だとか。

(彼も野球ファンだけど、好きなチームは違って、

彼女はフィギュアスケート好き。

息子とはカレー好きなとこが同じ。)

 

 

 

けれど、見方を変えて、この視点から彼の要素をみると、

こんな風にとらえられる。

(彼はそもそもスポーツファンだ。)

 

 

 

この立場はこういう構造のなかにあって、

そこではこのように作用する。

(学校では生徒、塾では親分、おうちでは甘えんぼ。

会社では偉い、後輩には先輩、自宅では甘えんぼ?)

 

 

 

こんな風に、図形で様々な視点から問題を考えていくことは、

人間が生きるという活動から切り離せないのかもしれません。

 

 

 

逆に、勉強は人間が生きることのなかから生まれてくる

ともいえるかもしれませんね。

 

 

 

標語のようなものも思いついたのですが、

図形と人生は相似の関係にある。

というのはどうでしょうか。

 

 

そしておそらく、

【(広い意味の)勉強と人生は相似の関係にある。】

 

 

 

図形の問題でいろんな角度から考えて頭をひねっている

生徒さんたちをみていて、

これまでの発想と違う発想を勉強しているんだから、

うなっちゃうのも当然だなあ、と感じて思ったことを書いてみました。

 

 

 

今日もお読みいただいて、ありがとうございました。

 

 

 

 

わたなべ

 

 

 

 

 

 

 

 

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