勉強しろと言われることほど、ヤなことはない!? | 札幌 家庭教師・物語作家わたなべ~小どもたちへの手紙~

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(現在は何気ない日常をアップしています)

きみへ

 

 

 

 

ようこそ!

 

今日も元気ですか?

 

 

 

 

きみは、勉強が好きですか?

 

 

 

 

「大っ嫌い!」

 

「まぁ、嫌いじゃない」

 

「キライに決まってるじゃん!(とか言って実は最近、歴史が面白いんすよ)」

 

「好き、キライという話をしている場合じゃない!」

 

 

 

 

とか、いろいろ意見はあるかな。

 

 

 

 

もちろん、そのどれかじゃなきゃいけないなんてことはないし、

 

何の感想もなくてもいいよね。

 

 

 

 

勉強は、まぁ勉強でしょ、みたいな。

 

 

 

 

そんな風に、きみたちは(僕もだけど)

 

それぞれ勉強について感覚を持っていて、毎日何かしら学んでいる……。

 

 

 

 

そこで、他の人から

 

 

 

 

「勉強しろ!」

 

 

 

 

と言われると、にわかにやる気が激減するのは、どうしてなんだろう?

 

首から胸にかけて、黒い吹雪が一瞬とおり過ぎたような。

 

 

 

 

お母さんやお父さん、先生はもちろんのこと、

 

友だちからでも、本気で言われるとけっこうヤな感じがしたりして。

 

 

 

 

 

 

 

これは仮説というか、感覚的なものなのだけど、

 

 

 

 

誰かから勉強しろと命じられると、

 

きみや僕の【流れ】がせき止められるからなんじゃないかな。

 

 


 

誰かと比べることによって、自分を一番大事にすべきというのではないけど、

 

僕たちは、自分自身の流れを生きていると思う。

 

 

 

 

命じることは、その流れに介入する動作なんじゃないかな。

 

 

 

 

誰もが自分自身の流れを生きているのに、


他の流れに介入できるという錯覚に、僕たちは敏感なのかもしれない。

 

 

 

 

そういう介入動作に、僕たちは注意ぶかくしていようね。

 

自分が介入しているかどうかにも。

 

 
 
 
普段の生活でなかなかしないようなお話をしたいとはいえ、
 
なんだか、つかみどころのないお話になってしまったかな。
 
 
 
 
何かきみと僕で共有できる部分があればうれしいな。
 
それじゃあ、またね
 
 
 
 
小どもたちへ