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 札幌駅の近くで人に会う用事があり、朝早くから地下鉄に乗って「街に出た」。

 札幌駅周辺で早朝に時間を潰すときには、いつもマクドナルド某店に入っていた。7時から開店するし、椅子は硬いけれども1時間でも座っていることができるので利用しやすかったのである。しかし、マクド(関西風に私はマクドと略す)にはもう入らないと思う。

 毎日のように、ガザのニュースが流れている。イスラエルはガザのパレスチナ人を皆殺しにしても構わないと思っているようである。

 ホロコースト、強制収容所。第二次世界対戦中、アウシュビッツが毎日放送されていたわけではない。ところが、今は毎日ガザが、そこで子供達がイスラエルからのミサイルで殺されていることが放送されているにもかかわらず、世界の人々は関心を示さず安穏と生活している。

 きっと、たとえ80年前にダッハウが毎日報道されていても、世界の人々は今と同様安穏と生きていたのだろうと思う。

 ガザを思うと、とてもマクドに入る気分にはなれない。

 かといって、私はパレスチナ人に特別の思い入れがあるわけではない。ガザやハマスを支持しているわけでもない。ハマスはイランや北朝鮮と繋がる(ついでに侵略国家であり「悪の帝国」でもあるロシアとも)テロ組織であると思っている。しかし、だからといって「民族浄化・ホロコースト」のようなイスラエルのやり方にはとても賛同できるはずはない。

 個人的に、イスラエルのやり方には吐き気が覚える。

 だから、イスラエルのやり方を応援していると思われるスタバやマクドには、もう二度と足を踏み入れようとは思わない、ただそれだけのことである。

 もう誰も、「アンネの日記」を読んでも感動しないだろう。ユダヤ人はガザの少女や少年たちをアンネがされたのと同じように無慈悲に殺し続けている。しかも、パレスチナ人には世界に宣伝する・訴える手段すらない。2023年のガザ虐殺以降、少しでも常識のある人なら、イスラエルが世界を破滅に導くつもりでいるのかもしれないと考えるだろう。そして、アメリカのキリスト教原理主義者が望んでいるのは、まさにそのこと、世界最終戦争と「神の降臨」なのである、というような話は考えただけでもウンザリするので、もう止そう。

 

 最近イスラエルはイラン国内で暗殺テロを起こしハマスの幹部を殺した。面子を潰されたイランは自制しているのかそれとも核兵器を持つイスラエルには簡単には手を出せないのか、強い反撃には出ていない。そのイランは弾道ミサイルをロシアに供与するということだし、それはウクライナに使われるだろう。こうして、世界の危機には常にイスラエルがいる。そのイスラエルにはアメリカが「天文学的数字の」軍事援助を続けており、アメリカが存在しなければ1日として存在しえないのが真実なのである。

 アメリカに守られたイスラエルがガザ虐殺を続けているときに、ネットでは一時、オサマビンラディンの手紙が話題になった。彼の手紙は要するに、アメリカこそがイスラエルを野放しにしてパレスティナ人を殺し続け中近東に戦争の種を撒いているのだ、と訴えていた。そして今回のガザ虐殺で彼のその言葉が正しかったことが改めて認識されたのだった。

 などと考えながら、「ミスタードーナッツ」で時間を潰した。

 イスラエルを旅行したとき、ガリラヤ湖地方を案内してくれた現地ガイド(ユダヤ人)はとても温和な人物だったが、エルサレムを案内してくれたユダヤ人は、吐き気がするほどのユダヤ原理主義者で、傲慢不遜だった。こうしたユダヤ原理主義者がいる限り、違法なヨルダン川西岸地区への侵略は続き、パレスチナ人は殺され、そしてパレスチナ人がちょっとでも抵抗するとそれを「宣伝材料にして」自分たちの都合の良いように軍事力を行使するのだろうと思った。今、ちょうどガザでやっているように。

 などと考えながら、「ミスタードーナッツ」を後にした。

 

《スタバ イスラエル》や《マクドナルド イスラエル》で検索すると、いろいろな記事が出てくるけれども、《ミスタードーナッツ イスラエル》で検索しても何の記事も出てきはしない。

 

 さて、用事を済ませて、ランチを札幌駅近くで取ることになった。

 以前から気になっていた、博多もつ鍋の店「ぶあいそ」に初めて入った。

 ランチメニューはいろいろあったけれども、「もつ鍋」を提供するのは、「1700円」のものだけで、仕方ないのでそれを注文した。今回は「調査活動」、美味しい店だったら、家内を連れていつか再訪するつもりだった。

 結論から言うと、もう二度とこの店に入るつもりはない、酷いところだった。

 若い男性店員が、乱暴に鍋をテーブルに置いたことはまだ我慢することもできる、若いダメな店員なのだから行儀が悪くても仕方ない、人手不足もあるのだろうから。

 呆れたのは、「もつ」の少なさである。

 1700円出して、鍋の中の「もつ」は、3かけら、である。後は出所不明の(まぁもつの一部なのだろうが)褐色の、まるでカツオの刺身を燻製にしたような不思議な肉がいくつか。小皿に取り出して撮影したけれども、これが大きな鍋に含まれていた「全ての肉」である。

 入っていたもつ肉も、甘いでもなく舌触りがいいわけでもなく、魅力がないもつ肉。1700円、ドブに捨てたと諦めれば全てを忘れることができる、そんな鍋だった。

 もちろん、こんなダメもつ鍋をいつも出していたならば、この店はとっくに潰れていることだろう。きっと、私は運が悪くてこうした鍋に当たってしまったに違いない。けれども、再訪したとしても同じような「もつを探してみてね鍋」を出されてはたまらないので、二度と行くつもりはない。

 東武池袋の「蟻月」で食べたモツ鍋とは、それこそ「月とスッポン」。いや、それすらもスッポンに失礼になってしまうほど、「博多ぶあいそ」というのは酷い店だと思う。