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 アンソニー・ボーディンの本を読んでいたときに、夏のリゾート地のレストランにアルバイトに行ってみると、その厨房で働く料理人たちの多くが手や指に切り傷を幾つもかかえていたという文章があり、驚いた記憶がある。本職の料理人がそんなにケガをするものなのだろうか、と訝しく思った。

 先日、焼き魚のためにダイコンを一本買い、さすがに余ってしまったので、おでんの具に使おうと思った。他の具を買ってきておでんを作り、ダイコンは皮を向いて面取りして‥‥ピーラーに付いたままだったダイコンの皮がへばりついて付着していたので、水で濡らしてからキッチンペーパーで拭き取った‥‥その時に、キッチンペーパーを通して、指がスリパリと切れてしまった。右の親指。血が吹き出した。自分の迂闊さを呪いながら、近くにあったキッチンペーパーで圧迫止血を続けた。

 実は、その3日前も、料理をしていて、何かが(何か忘れた)料理台を転がったのでそれを取ろうと手を動かした。ところが私はその手に包丁を握っていた、買ったばかりのとてもよく切れる燕三条の大きめの包丁。その包丁を持ったまま、料理台を転がってゆく何かを取ろうとして、包丁の「アゴ」で人差し指を切ってしまった、これは6ミリくらいの小さな傷で、それでも止血するまで随分時間がかかった。

 というわけで、1日に20分も料理をしない私がこんなに手を切るのなら、どれほど注意深い料理人でも(初めのうちは)1日中刃物を扱っていたなら、手指は傷だらけになってもおかしくはないのだろう、と思った。

 ということで、昨日は札幌散歩から家に戻ってきて、夕食後に文章を打ち込もうと思ったのだけれども、指が痛くてタイプを打つことができず、一晩たった今、こうして打っている。(31日午前8時)

 

 江別市は札幌のベッドタウンである。札幌との境には北翔大学(元は服飾学院)と札幌学院大学、そして酪農学園大学がある。江別の東側には北海道情報大学があり、この街にある大学は全部でその4つである。遺体が発見された殺人現場(文京台南町公園)は、札幌学院大学の東側に帯状に続く公園で、26日土曜日の朝、近所を散歩していた人が警察に届け出た。

 昨夜までに、女子大生2人と未成年の男4人が逮捕されている、全員自首だという。恐らくは長くても数年で、しかし恐らくはたった1、2年で社会に戻ってくる者がほとんどだろう、殺人を犯した未成年者は名前や顔写真すら報道されることはない。これが日本の「犯罪空間」なのである。

 女子大生が通っている2つの大学が声明(?)を出したという報道が、今朝になって流れている。

 女子大生の一人は、私は現場にいただけで何もしていない、と訴えているという。無罪だとでも思っているのだろうか。男4人に殺人を犯させておいて、私は見ていただけ、とでも。

 それにしても‥‥。

 ここは住宅街なのである。

 近所の住人も午前1時頃、ギャー、と叫ぶ声を聞いたという。それでも、警察に届けるでもなく‥‥。ひょっとしたら、その時点で警察を呼べば、被害者は命だけは助かったかもしれない。関わりにはなりたくない、ということなのだろう。

 これが札幌・江別の精神世界なのだろう。

 

 現場の近くには、野幌森林公園がある。暗い森が続く。22平方キロもある森。東京の山手線の中の面積が63平方キロだから、山手線の中の3分の1の面積を持つ暗い森が野幌森林公園。ここは自殺者や殺人や事件の宝庫で、私は足を踏み入れる気にはなれない。その森林公園を掠めるように南に下がってゆくと、上野幌駅がある。江別の事件現場から10キロと離れていない森の中(東部緑地)で、女性の遺体が見つかったのはちょうど10年前の今頃のことである。

 この事件は北海道警察の捜査能力の悲惨さを遺憾無く教えてくれるものだった。

 二度の現場捜索で遺体を発見することができず、目星を付けた重要参考人の家宅捜索までしておきながらその参考人の逃亡を許して自殺されてしまうという、呆れる結果となってしまった。つまり、事件は永遠に未解決となってしまったのである。

 

 北海道警察といえば、旭川の警察腐敗はひどいことになっている。何がひどいといって、これだけ腐敗が週刊誌で暴露されながら警察庁が何一つマトモに改善に向けて動いていないらしい、ということが全国レベルでの警察腐敗を教えてくれている。

 大阪の検事正の呆れる事件でも、検察庁腐敗が芯まで進んでいることが解る。

 つまり、日本社会は警察検察、そしてその他の組織でも進んでいるということなのだろう。

 もちろん、人間の歴史、国家社会が成立した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この事件、何が驚いたかといって、ファミマ本部の危機感の無さである。

 床を拭いたであろうモップを食品展示庫で乾かしている、というのも驚くが、もちろん、衛生観念の無い外国人ならそんなこともしてしまうのかもしれない。インドやインドネシアで(あるいはネパールやベトナム、中国・韓国で)日本人のような衛生観念は全く通じないのだろうから。

 しかし、「ファミマ本部」は日本人の、それこそ衛生観念で動いているはずである。そこが能天気に取材に返答しているのを読むと、「こいつら○○ではないか」と思ってしまう。

 かつてファミマの沖縄の店で、アルバイトの少年がアイスクリームなどを入れたボックスに入ったことがあった。あの時はテレビでも放映されたが(動画が)、今回はまったく主要メディアは伝えていない。ネットですら、ハム速とJCASTというマイナーどころ(w)しか取り上げていない。ファミマの親会社・伊藤忠商事に気配りしてのことなのかもしれない。

 どこの店かもわからない、ということは、札幌の店かも知れない。

 モップを商品展示庫で干す外国人は未だに同じ頭で働いているのかもしれない。

 モップを商品展示庫で干す外国人と同じような外国人アルバイトは、ファミマには今もこれからも大勢いるのかもしれない。

 だったら、ファミマには行けない。

 普通の日本人ならこんな汚いことをするコンビニには行けないと思うのだけれども、何しろ既存メディアは報道しない自由を謳歌しているので、日本人のほとんどの人はこの事件を知らない。

 でも、知ってしまった以上は、こんな汚いことをするコンビニと、それをコントロールできないファミマ本部が「指導している」すべてのファミマには、決して足を踏み入れることはできない、私の場合は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 red neck とか white trash と呼ばれているpoor white、hillbillyたちの物語である。

 麻薬、アルコール、家庭内及び家庭外暴力、性的放恣‥‥そして何よりも勤労意欲の喪失と他者への不当な怨念(政府が悪い、外国人が悪い、民主党が悪いetc) そうしたwhite trashの多くが、トランプこそが自分たちの代弁者だと思って声を張り上げている。

 最初、この著者である JD Vance はヒルビリーを分析し、彼らが立ち直る「処方」でも書いているのかと思ってこの本を読み始めた。しかし、読み進めてこの本の持つ「雰囲気」に驚いた。ヴァンスはどうやらヒルビリーというものを否定的には考えていないようなのである。それどころか、ある種の「誇り」まで抱いている。

 麻薬とアルコールに耽り、すぐに暴力を振るい、自分の不幸を他人のせいにするヒルビリーを、それでも「肯定的に考えている」のである。

 この本の最終章「おわりに」は、こんな「いさましい」文章がある。

 

(P393〜)私たちヒルビリーは、この地球上で誰よりもたくましい。私はそう信じている。

 ヒルビリーは、自分の母親を侮辱する人がいれば、チェーンソーを携えて、侮辱した者が隠れている家を襲う。妹の名誉を守るためなら、実際に下着を持っていって、名誉を傷つけた者をやっつけるのだ。

 だが、ブライアンのような子どもを助けるだけの力が、私たちにあるだろうか。私とよく似た子どもが、世の中から引きこもらないようにするような、教会をつくっていく力はあるだろうか。自分自身を鏡で見て、自分の行動が子どもたちを傷つけていると認める力があるだろうか。

 社会政策は役に立つかもしれないが、私たちが抱える問題を、政府が解決してくれるわけではない。

 いとこのマイクが、母親の家(1世紀以上にわたって私たち一族が所有していた家)を売り払った理由を、ここでもう一度、思い出してほしい。マイクは、自分の隣人がその家を荒らすことはないとは思えなかった。

 祖母は、孫に自転車を買ってやるのを拒んだ。なぜなら、自転車は(鍵をかけていたとしても)すぐに玄関ボーチから盗まれてしまうからだ。祖母は後年、玄関のドアを開けるのを怖がった。隣りの家の健康そうな女が、借金の無心にやってくるからだ。のちにわかったのは、その女性はドラッグを買うための資金を必要としていた。

 こうした問題は、政府によってつくり出されたものでもなければ、企業や誰かによってつくり出されたものでもない。私たち自身がつくり出したのだ。それを解決できるのは自分たち以外にはいない。

 私たちは、カリフォルニアやニューヨークやワシントンDCのエリートのように生き

はない。弁護士事務所や投資銀行で週に100時間も働く必要もない。カクテルバーティーで社交的な会話をする必要もない。子どものころの私やプライアンと同じような境遇の人が、安心して暮らせる空間をつくる必要がある。

 それをどうしたら実現できるのか、私には完璧な答えはわからないが、オバマやブッシュや企業を非難することをやめ、事態を改善するために自分たちに何ができるのか、自問自答することからすべてが始まる。(引用終わり)

 

 ‥‥事態を改善するために自分たちに何ができるのか、自問自答することからすべてが始まる‥‥

 終章で、こんな「雲を掴むような意味のない言葉」を使っているのである。なるほど、これは「社会学者によるヒルビリー分析」ではなくて、ヒルビリーに未だ誇りを持っている男の乱脈な回想記であることが理解できる。乱脈な回想だからこそ、意味不明な「提案」でもって姿を消すことができるのである。

 しかし、バンスはこの回想記で姿を消したわけでない。彼は、トランプと組む副大統領候補なのであり、来月の選挙結果次第では、アメリカ副大統領になる男である。

 

 バンスの回想記には、地元のキリスト

 





つい半年前、同じ製品、サンマ蒲焼3パックを、税抜き900円くらい、税込み970円くらいで2つ買って、食べないで大切に保管してたのに、サンマが豊漁になると3割以上値下がりしてた。😆